わたくしが子どものころ、東京・下町深川には『松』と言う大そうな木は、家の周りにも原っぱにもございませんでした
それでもうろ覚えではありますが、わたくしが登園拒否をし続けた幼稚園の経営者であるお寺の境内に1本・植わっていたような気が致します
小学校もあまり肌に合わず、行ったり行かなかったりとその日の給食表を指で追いながら、好物だった「くじらの竜田揚げと春雨サラダ」の時だけは欠かさず登校していたことは、みなさまに於かれましては、もうご存じであろうと思います
その小学校の遠足に日比谷公園とその周辺散策という如何にも簡素な遠足が企画されまして、わたくしの母親は我が子が登校できずとも、学校の行事に携わるすべての役員を引き受けては、わたくし・子どもの登校日数よりも多く学校に通っておりました
母親が遠足や運動会に出かけるとき、わたくしは「気を付けて行って来てね」と玄関で見送る日々でした
ところが、この「日比谷公園とその周辺散策」に子ども心になんの変化があったのか…前の晩に「行く」と言ったようで、ぶったまげた母親は慌てて稲荷ずし用のお揚げを煮ていたのを思い出します
遠足といったところで日比谷公園の中をぶらぶらと歩くだけ…お弁当を食べたら、それぞれにきれいな落ち葉を見付けたり、どんぐりを拾ったり、鬼ごっこをしたりと自由時間を過ごしていたように思います
昭和35、6年のころの日比谷公園はとてつもなく広く、樹々が鬱そうとして土の上を走り回っていると迷子になってしまうほどで、まるで森のようでした
色づいた落ち葉の中に、もう何年も前に落ちたカサカサになった「松ぼっくり」がいくつも転がっていて、友だちから離れひとり・拾い集めては制服のスモックのポケットにパンパンに押し込んで、初めての遠足をわたくしなりにけっこう楽しく過ごしたように思います
「なんだぃ、松かさかい?またずい分と拾ってきたもんだね~他にもっと暮らしに役に立つようなもん、落ちてなかったのかい?」
昔の親ってのは…我が家は特にそうであったように思いますが、子どもを褒めて育てることなどと言ったことは、これっぽちも親の頭の片隅になかったようで、わたくし・よく道を外さずにここまで老いたものよと、仏壇に手を合わせる日々であります
後々になって、母親が言っていた「松かさ」について改めて習おうとは思いもしませんでした。
この「松ぼっくり」の『ぼっくり』に、ぼっくりならぬビックリの真実が込められていると聞き、手の平で慈しんだことを今も鮮やかに思い出すことが出来ます
文学には言葉の語源を学び、それを生涯の研究として携わっている大学の教授たちがおられます
「この松かさは松の球菓、いわゆる種を守る鞘のような役目をしているのは生物で習ったと思う。子どもは『松ぼっくり』と呼んでいるけども、きみたちの世代も松ぼっくり、あるいは松ぽっくりと呼んでいたと思うけど、どうかな?そうか、松ぼっくり派が多いね。じゃね、松は木を指すとして、ぼっくりの意味はと言うと語源は『松陰嚢』正式な漢字で書くとこうなる」
黒板に書かれた、その三文字に…
『松陰嚢』…
「読める人、手を挙げて!」
「先生、まついんのう・ですか?」
「うん。素直に読むとそうだね」
「先生、陰嚢って、この陰嚢ですか?」
股間を指しながら答えているよぉ~
わたくしたち・女子にはまったく参戦できぬ部分であるので、ひたすらノートに書き写したのですが『陰嚢』って字・そのものがワイセツに見えて、結局どうでもいい授業に思えました
「そう!そこね。そこが陰嚢と言うことを知っているだけでも偉いね!つまり睾丸(こうがん)を指すわけだ。よく見かける草に犬陰嚢・イヌノフグリという名の草があるのは知ってるね?青い可憐な花を咲かせるね。種子が犬の睾丸の形のように生る。松ぼっくりはヒト科の睾丸の大きさ・形に似ている。だからこれも『まつのふぐり』と読むんだけど、ふぐりがぼくりとなって転化してしていった語であると考えられる」
『そう!そこねってどこだよね?』
『何が考えられる…だよっ』
『睾丸だって!字数が多いしサ、うちら女子が書くことってある?金の玉でいいじゃんね?』
『一生書かないよ、睾丸なんて漢字。うちらの男子、金って玉かね?』
『あんなモン、ぶら下げて何が楽しいのかね?』
『あれって…ぶら下がってんの?』
『いろいろあんじゃないの?』
『もう松ぼっくりの歌って、恥ずかしくて歌えないよね』
『歌えない!歌えない!ころころころって、最後にサルに食べられちゃうんだよ!サルにだよ!その程度のもんなのよ、ふぐりって』
『今度から、あの先生のこと「ふぐり」って呼ぼうよ!』
『こうがん・の方がリアルだよ!』
わたくしたち・女子は言いたい放題のことを書いた紙きれがひな壇の後ろから回ってきて、それに書き足して次に回したものでした
あのころは…お気楽であったなぁ~
さて、1枚目の写真なんですが小さな球果の後ろに毛虫がいるのですが、見えますでしょうか…シャク蛾の仲間かと思われる幼虫が潜んでおります
松の新芽と瑞々しい松かさと、そして蛾の幼虫と…このみっつを一緒に眺めているわたくしは、すっかり『新』などと言うものから離れた遠い所で生きております
ですが、何事にも新たな気持ちで向かう気持ちは忘れずに…と思っていることだけでも「まぁ~良し!」と致しましょう
わずか5、6歳でポケットいっぱいに詰め込んだ「松のふぐり」…思えば、夢のような遠足でした
『松ぼっくりがあったとさ 高いお山にあったとさ ころころころあったとさ おさるが拾って食べたとさ』…ホントだっ!最後はサルに食べられちゃうんだ
「フフフのフ」
手の平に残る、少々硬めだった「ふぐり」の感触を懐かしんでおりますわぃ