「うん」
短い足をきちんと揃え、ベランダの手すりにチョコンとうずくまっているのは
「もしかして・新種のペンギン」
本人はすずめのつもりなんでしょうが…どう見たって小っちゃなペンギンにしか見えません
大空を飛んで、我が家を訪ねて来てくれたものと思えば、こちらは大歓迎であります
すずめで思い出したのですが、わたくしの母親は結婚するギリギリまで電気通信省で電話交換手をしていました
ですから…まあ~「ですから」と言うのも他の交換手さんたちに失礼にあたるかも知れませんが、とにかく声がデカかった!
然も、銀座のとなり・京橋産まれとあって威勢のいい東京弁を話すもんですから、その口跡もハキハキと切れがあり、下町育ちの性格も相まって人の耳元での内緒話ができない母でした!
こんな母親の機嫌を損ねるような悪さをしでかしようものなら、それこそ町内に響き渡るほどの声で叱られたものです
「また叱られてるよ。あの子もホント懲りない子だねぇ~」
近所のおばちゃんたちの同情を買うどころか、勝手に懲りない子にされ、このままこの町にいたら嫁にもいけぬと、わたくし眠る間も惜しみ勉学に勤しみました
勉学と申しましても…いろいろとございますが
さて…その母親なんですが、電話が徐々に普及する昭和30年代の半ばになるでしょうか?
洗濯機や冷蔵庫を揃えるより先に、先ずは固定電話を玄関に引き置きたいと父に頼んだものでありましょう、大家さんちよりも早くに家に電話機が置かれました
それだけでは収まらず、母は近所へ呼び出し電話をするからと電話番号を書いた紙を配って歩いておりました
町内14、15軒の呼び出しを請けてたような記憶があるんですが、受話器を取るのはいつも母親でして、これは元・交換手をしていたのですから許せるとして、近所に呼び出しに走りに行かされるのは、ほとんどが…このわたくしでありました
「はい!交換。佐々木さん?2丁目の佐々木さんですね?そちらのお名前は?はい分かりました。チョイと待って下さいな。今呼びに行かせますんでね。おみえっ佐々木さんにひとっ走りいっついで(行っておいで)
モタモタすんじゃないよっ
下駄を脱いだら鼻緒を向こうに揃えて置かなきゃダメだって、いつも言ってんだろ!いいかい?ちゃんとおせぇ(おしえた)とおりの口上を言うんだよ。相手は本所の井上さん。ほら、この紙をお持ち。お前のためにね、おっかさんは平仮名で書いてんだ、親ってのは有難いだろ?何、ボーッと突っ立ってんだい?早くお行きなっ!途中で転んでもサッと起きて走るんだよ!痛くて泣くのはそれからにおしっ!わかったかい?」
『このやり取り…本所の井上さんって人に筒抜けだろうなぁ~絶対に笑ってるよなぁ』と恥ずかしく思ったものでしたが、電話のベルが大好きで、電話に出るのが生き甲斐であったろう母の胸のうちに行き着くと、これも仕方なしと町内を走ったものでした
すっかり話が「すずめ」から逸れてしまいましたが…もう少し辛抱して聞いて下さいまし
母はそのころ、まだ交換手だったころのクセが抜けませんで、受話器を取ると「はい、交換」と出ていました
次第に固定電話が当たりまえとなり、呼び出しが少なくなっても、我が家の電話は相変わらず玄関の下駄箱の上に置かれ、上り框には座布団が置かれていました
よく電話などで名字や名前、そのほかの字がどんな漢字を充てるか、似た発音を聞き間違えないよう説明をしなければならぬことを経験したことがあるかと思います
母親はそのあたりを徹底的に仕込まれたようで、実に的確に受話器の向こうに伝えておりました
和文通話表では…
『あ』「朝の「あ」と伝えます
『さ』「桜」の「さ」
『し』「新聞」の「し」
『た』「たばこ」の「た」
『と』「東京」の「と」
『な』「名古屋」の「な」
『ん』「おしまい」の「ン」
お待たせ致しました
『す』「すずめ」の「す」とようやくの登場となりました
ところが…母が難儀をしたものと思われるのが『ひ』であります
「飛行機」の「ひ」と本人は発音しているにも係わらず、聞く人は「し」に聞こえてしまうらしく、何度も何度も受話器に向こうに告げていました
東京っ子の悲しい舌ったらずで「ひ」をそのまま「ひ」と言えません
「弘子(ひろこ)」と言う名の従姉がいたのですが、連れ添いのおぃちゃんは今でも「しろこ、しろこ」と仏壇に手を合わせていますが、そこを赤の他人…例えばお役所、銀行の人たちが聞いたそのままを書類やら何やらに書き込みますので、ややこしいことになってしまうとか…
「俺はしろこ(ひろこ)って言ってるのにサ、白子って書くんだよ!違うよ!しろこ(ひろこ)だって言ってんのにサ、こんどは「しろ子」って書きやがんの。親も親だぜ、なんでこんな七面倒くせぇ、なめぇ(名前)を付けたかなぁ~」
ちなみに、わたくし…日比谷公園はちゃんと言えますが、朝日新聞社は「あさししんぶんしゃ」と正しい社名を言えぬまま、人生を閉じる気が致します
言い訳のように聞こえましょうが「渋谷」、「七福神」「新鮮」などは「ひ」に変わることなく発音できますです
その新鮮な白バイ貝を、幼馴染みの築地・さわちゃんがわざわざ届けてくれました
「酒でもってサッと湯がいて灰汁を取ったらサ、たっぷりの煮汁、薄味だよ!10分煮たら火を止めて、あとは余熱でじっくり…2時間は漬けておかなきゃダメだかんね。グダグダ煮てるとね、汁が濁っちまうからね。お澄ましのちょっと濃いぐらいに仕上げるんだよ!貝、好物だったもんね」
そうなんです!亡き夫は季節のそれぞれの貝が好物でありました
アサリにシジミ、ツブ貝にホッキ貝、牡蠣にホタテ…ここまでなら何んとかちゃぶ台にのせも致しますが、赤貝だのアワビだのと言いようものなら、即・却下となりました
こんなに早い別れが来ると知っていたら、たらふく食べてもらっただろうに…今さら思っても詮無いことなのだと分かってはおります
もう2度とこんな後悔はしたくはありませんから、わたくし・好きなものは遠慮なく頂いております
「さわちゃん…月命日を覚えてくれてたんだバイ貝、上手に仕上げたよ
ありがとね」
6月の月命日は、細い細い月が空にありました