深川・門前仲町には富岡八幡宮さまをはじめ、深川お不動さん、七福神を祀るそれぞれのお寺さんやら、昔から神社仏閣が多い海辺の町でありました宝船

今でも漁師町だった名残で「波除神社(なみよけじんじゃ)」が露地裏の奥に小さな祠を見つけることができます神社

商売繁盛を願うその名も『繁盛稲荷神社』さんの天水鉢にも、境内にあります桜や欅の紅葉がはらりと落ちて、見上げた枝に残る葉の数もここ数日で梢の美しさが映えることでありましょう木枯らし木の葉

お屋根に溜まった雨水を落とす鎖樋(くさりとい)が…私たち下町っこは樋を「とゆ」と呼んでおりました…静かに水の中に沈んでおりますクサリ

この天水鉢の中に10円玉、いわゆる「銅」を入れておくと、ボウフラが湧かぬと昔からの言い伝えがございます小銭蚊

ですけれども…お賽銭には10円玉はいけませんだめっ!

「五円はご縁につながるけどもサ、10円は遠縁、ご縁が遠くなっちまうだろ?奮発したつもりがとんでもないことになっちゃうからね、気をお付け!それとね、お賽銭は投げ入れちゃいけないよ!そっと滑らすように賽銭箱に入れるんだよ5円玉お足を投げちゃぁバチが当たっちまうよ!分かったかい?」

と…我がおっかさんが申しておりました!

  

さて…パソコンの調子が悪く、もう終わってしまった展示会『檜細工にみる江戸町並み』のお話で申し訳ないのですが、今なぜか人気の街になってしまった清澄白河にある「深川江戸資料館」で開催されておりました江戸

昔からあった小さな町工場や倉庫が改装され、おしゃれなカフェやパン屋さん、陶磁器や雑貨を扱う店が次々と開店し、若い感覚溢れる一角と町並みが変わりましたカフェ

私が出かけて行ったのが開催最終日の日曜日だったものですから、どの店にも行列ができている有様で、鎌倉に住んでいるときに見た光景とあまりによく似ておりましたもので、ちょっと嬉しく、懐かしく眺めてしまいましたハート

その中でもクネクネとそれこそ長蛇の列をつくっていたのが、この『日吉屋・1本うどん』でございましたうどん

「えっ?一本うどん?」と身を乗り出してきたお方…かの長谷川平蔵こと鬼平の1本饂飩を頭に浮かんできたのではありますまいか?

「鬼平犯科帳・第11巻」の巻頭に出てきます『男色一本饂飩』。

ここ深川が舞台となっておりまして、平蔵が可愛がっている兎忠(うさちゅう)こと木村忠吾がかどわかされ、軟禁されつつも平蔵や密偵たちが助けに来てくれることを信じ、操を守るという池波氏のユーモアを散りばめた、ちょっと毛色の変わった1編かと思いますぷぷッ(笑)

その木村忠吾の好物のひとつ…深川・蛤町、海福寺門前にある『豊島屋』の一本饂飩でありますザルうどん

市中見回りの途中に入った豊島屋から物語は始まります本

『五寸四方の蒸籠ふうの入れ物へ、親指ほどの太さの一本饂飩がとぐろを巻いて盛られたやつを、柚子や摺りごま、葱などの薬味をあしらった濃い目の汁で食べるもの…』と、まるで目の前に運ばれて来たようで、よだれが出そうな描写であります。

深川の浄真寺というお寺さんの前に店を構えていた「ヤホキさん」、品書きはここの一本饂飩のみで、いつの間にか店を畳んでしまい、一本饂飩は幻の饂飩となってしまったのでした。

ところが、深川町興しにこの一本饂飩も入れようと深川青年会が立ち上がり、今では写真の日吉屋さんをはじめ、浅野屋さん、長寿庵さんと鬼平の一本饂飩を見事に復活させましたいえー

私も久しぶりに食べようかなぁと思いはしたのですが…何せ行列が大の苦手でありますから、今日のところは諦めることにいたしました石蹴

「こんなところでサ、いつまで掛かるか分からん列に並んでごらんな。ここで寿命が来ちまうよ!こちとらやることが山ほどあるんだよ、ぼーっと突っ立ってんじゃないよっ!分かったかい?」

これも我がおっかさんが言っていたことであります。

戦後…何を買うにも配給という列に並ばざるを得なかった辛い思いがあったのでしょうが、何事にも気の短い東京っ子の辛抱のなさの表れではないかと思います。

その血が私にも薄くではありますが流れている実感がございます血

  

肝心の展覧会である『檜細工にみる江戸の町並み』…中の撮影が禁止されておりましたもので、頂いたチラシでご勘弁を…(汗)

外国のミニチュア・ドールハウスを思い浮かべていただくと分かりやすいかと思いますが、基本的には人はあまり登場はしていませんで、あくまでも江戸の長屋であったり旅籠であったり…湯屋であったりと庶民の生活そのものが10分の1の大きさではありますが、なんとも粋な風情で再現されております江戸

屋台の天ぷら屋、寿司屋に蕎麦屋、そして棒手振りの魚屋や青物売りと、今にも売り声が聞こえてきそうな活き活きとした町並みです海老天お寿司v

  

この作品を拵えたのは、現役の風呂桶職人・三浦宏さんです。

私どもは檜細工師「三浦玉舟(みうらぎょくしゅう)」さんの名の方が馴染みがあるほど、その手になる江戸の町並みに魅せられているひとりであります。

時代考証に嘘偽りが見つかりませんし、なんと言いましても檜の持つ気品ある木目を活かした細工は目を見張るばかりでございます。

ところで…この風呂桶sao☆

見事にタガが外れてしまいましたこ

昔の夫の在り様を見るような気がいたしますから、人間と言うものは生きている間、精進を重ねていかねばあの世へ行ってからもロクなことは言われませんなぁガーン

夫は自らタガを外し、ネオン瞬く夜の巷へと消えて行ったものです夜

翌日…器用にそのタガを嵌めて、ちゃんと会社に行くんですからサラリーマンってのは、いやはや大変な商売であります。

この風呂桶…夫が「せめて桶ぐらいは檜にしてくれると、働く意欲が湧くんだけども」と言いますもので、奮発して北鎌倉・建長寺さんの向かいにある桶屋さんで買い求めた物でありますお坊さん

私ひとりになってからは、案外と手入れが面倒になって、プラスチックの桶に変え仕舞うことにいたしましたおふろ。

「ありゃぁ~汗おとめ座

ゴシゴシと洗っておりましたら…スポンと抜けてしまいましたsao☆

私もそろそろ…タガを外す時期が来たのかしらんスキップ