『黄菊白菊其外の名はなくも哉(きぎくしらぎくそのほかのなはなくもがな)

美文韻文(びぶんいんぶん)として、大町桂月の詞華集に載っている服部嵐雪(はっとりらんせつ)の歌であります。

「寒露」の次候「菊花開・きっかひらく」が巡って参りました。

家人の訃報を聞いた方が供花を送って下さるのですが、その中に白菊が入っておりますと、やはりちょっと淋しげな感じがしてますから不思議なものであります。

菊は決して埋葬のときに供える花ではないのですが、日本人が故人を送るに相応しいといつの間にか定着したものなのでしょう。

もし…昔から埋葬の花とされていたら、天皇家の家紋・十六紋菊花にはなっていなかったことと思います。

今朝は新聞休刊日にあたりますから、我が東京読売巨人軍がクライマックスシーンで阪神タイガースを押さえ、日本シリーズ出場獲得権へ名乗り出た詳しい試合情報を読むことが出来ませんで、家人には「とにかくサ、もしかしたら、上手くいけばね、日本一になるかもよ、チーン!」とだけ報告しとくに留めました野球

「ピンポ~ンッ!ピンポンピンポンッ!」

玄関のチャイムがけたたましい音を立てて鳴っています!

うちは卓球の練習場じゃないんだから、と音を一刻も早く止めるためにインタホンまで駆けて行きました!

「ハイッパンチ!なんですかっ!」おとめ座

「おばさん?俺」

「俺と言われてドアを開けるほど、あたしゃモウロクしとらんわっ!」おとめ座

「俺サ、これからガッコ行かなきゃなんないんだよ!早く開けてよ」

「大学1年か?ちょっと待ってなさいよ、おばちゃんサ、左足の指2本骨折しちゃってっから、この長い廊下を這って行かなきゃならんのよ」おとめ座

「じゃ、ドアの前に置いとくね」

置いとく?なんか持って来たんだ!

玄関までダッシュビックリマーク

「お~っ!久しぶりだね。その手に持ってるのは…何かな?」おとめ座

「…おばさん、この度はご愁傷さまでした。俺、ずっと知らなくて。通夜っての?それと葬式もやらないって。おじさんの遺言だからって、お袋が言ってて…」

「うん。ありがと。よく噛まずに言えたね、ご愁傷さまって。お母さんにもお父さんにも失礼しちゃって申し訳なかったんだけどね、大人って長く生きてるてぇっとサ、その人なりの始末を考えるもんなんだよね。残されたもんは、なるべくそれに沿った送り方をしてやらんと成仏できないじゃない?で・それ何?」おとめ座

「あっ!ブドウ。お袋がおばさんを犯罪者にするわけにはいかないとか何んとか言って、これを届けながら、おじさんにお線香上げて来いって。俺、今日19歳の誕生日でサ、それも報告しろって」

「ブドウで犯罪者?」おとめ座

「おばさんサ、緑道に生ってるぶどう、狙ってた?あれって口うるさいじぃちゃんが手塩に掛けて栽培してんだってお袋が探って来てサ、あんなんでも小さいころから一緒に町内を掛けまわった仲の幼馴染なんだから、お縄に掛かるのを黙って見てるのは寝覚めが悪いって。俺、急いでんだけど、お線香あげさせてよ」

なぁ~んか…いちいちグサグサッと胸に刺さる言われ方だけども、遅刻させるわけにもいかんので、大学1年の手にあるぶどうを引ったくって骨壺の前に連れて行きました。

「わっ!これ、おじさん?」

「中、見る?」おとめ座

歳の割には「良い骨してますね」と火葬場の係の人に褒められた骨なんです合格

「いい!いい!」

ろうそくに火を灯し…19歳なり立ての若者に席を譲りました。

窮屈そうなGパンできちんと正座をし、1本の線香に移った火を手で消し、鈴(りん)鳴らし手を合わせる姿は、なかなか清々しいものであります。

「お誕生日………」おとめ座

「おめでとうは言わなくていいよ。喪中ってんでしょ?どうせ、子どもには現金は渡さないって言うだろうしサ。図書カードでも一向に構わないよ。すぐ換金しちゃうから」

この子…2歳になるかならぬとき、大変な大病をしまして両親は元より祖父母を巻きこんでの闘病生活を送ったことがあった子なんです。

腸重積(ちょうじゅうせき)と言う小さな男の子が罹る病気と聞きました。

読んで字のごとく、腸がめくれるように重なってしまい、小さな子どものことですから上手くその状況を伝えることが出来ませんもので、見付けるのに手間がかかってしまうそうです。

         

偶然にも家人が膀胱がんで入院を致しました東京医科歯科大病院のお隣、順天堂医院の小児病棟に入院し、心配をしつつお見舞いに行ったものでした。

家人の腸閉塞と同じで絶食の治療が続いたような記憶があります。

「毎日、ごあんごあん(ご飯)ってお腹空かして泣いてるのよぉ~ホント、不憫になっちゃう」

母親である幼馴染がグスンとこぼすものですから、わたくし…ハガキに4コマ漫画を描きまして毎日病室に届くよう書き続けました。

キャラクターは確か…「アオイボくん、ピンクグチ、みどりのおばさん」だったように思います。

それに加え、当時住んでいた鎌倉の庭にいたカマキリやヤモリ、カエルを仲間に入れてぬり絵風にしたり、いろいろと工夫をして飽きぬよう送ったものでした。

「あれ、今も大事に取ってあるよ。絵が好きになったの、おばさんが描いてくれたあの下手くそな絵のおかげかもね」

だいぶ前に話してくれたことを思い出しました。

そうか!きみが東京造形大学へ進んだのは、この私の4コマ漫画が原点であったのか!

出世払いを大いに期待しとるぜよ¥

26、5センチだと言うスニーカーを履きながら…

「おばさん…本、読んでる?お薦めがあったら教えて。いけねっ!遅れちゃうよ、じゃね」

この子、私のことを心配してくれているんだと、心底有り難いと思いました。

「シャインマスカットだって!皮ごと食べられますってサ、またずい分と張りこんだものだわ。白ワインで摘まんだら美味しいかな、ねっ!あーた!」おとめ座

大学1年があげてくれたお線香がいい香りを立てている仮祭壇に、マスカットを供えました。

夏目漱石の句に菊の花を盛り込んだ俳句があります。

漱石が心寄せる人が若くして亡くなったときに詠んだ一句と言われております。

    

『ある程の菊投げ入れよ棺の中』

(あるほどのきくなげいれよかんのなか)


今になってズンと胸に響く一句となりました。