豊かな果汁を多く含んだその名も『豊水』…梨が八百屋の店先に並ぶと、秋が来たなぁと感じます。

「俺は巨峰とかマスカットにセレブな秋を感じるなぁ~ぶどうおじさん

勝手に感じりゃぁいいじゃんか!

梨を美味しいと感じるには、その水分の多さが命かと思います。

「豊水・幸水・菊水・南水・新水」と梨の名には水の文字がしっかりと入っております。

泌尿器科系の病に罹っている患者にとって、利尿作用がある梨が出回る季節は嬉しいかぎりです。

然も…痰を切る何んとか作用もあるとかで、とにかく梨さえ食べさせておけば間違いなしと、朝食は梨で決めました!

「梨だけ?それはナシだろう?」おじさん

言うだろうなと思っていたら、きちんと期待を裏切らずさぶ~いオヤジギャグを放ってくれました!

「オヤジギャグなんかと一緒にするなよ!じじぃギャグに達している高尚なギャグだぜ」おじさん

シャキシャキと音を立て梨を次々と平らげている家人を眺めていると、もうそれだけでてんてん幸せベル

 

『ずっしりと水の重さの梨をむく』

(ずっしりとみずのおもさのなしをむく)

永六輔

梨と言えば…正岡子規も柿の次に梨が好物であったと、河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)が書いた「子規の回想」で読んだ覚えがあります。

子規は大変な大食いであったそうで、毎食後は必ずその季節季節の果物を妹・律に言い付け、ぺろりとお腹に収めたと書いてあります。

何しろ鍋焼き饂飩を10杯も20杯食べたとか、あんぱんを10個を物の数分で食べちゃったとか…その大食いはギャル曽根も引いちゃうのではと思うほどの健啖家でありました。

子規は最初の喀血から7年も苦しんだと言われ、結核特有の『痰と咳』にもそれはそれは悩まされたと、どの本にも書いてあるほどです。

そのころは糸瓜(へちま)から採った水が痰に良いとされ、子規は小さな庭に棚を作り糸瓜を植えたと言われ、毎日飲んでは痰を切っていたと言われています。

明治の時代に今の吸引器があったなら、子規の苦しみの大半は救われたのではと、その溢れんばかりの才能が34年で断ち切られた無念は如何ほどかと思われます。

「ねっ!だから文明の機器を使わないなんて、子規のバチが当たっちゃうよ!」おとめ座

「きみの言っている意味が理解できん!子規のバチがなんで明治から昭和を経て平成の今になって、ゲボッ!然も膀胱がんの俺に当たるんだよっパンチ!おじさん

「ハイハイ。ご夫婦の会話も宴たけなわではありますが、痰吸引器の準備も済みましたので、そろそろ始めさせて頂きますね」看護師

本日は休日、それも晴天の日曜日だと言うのにセコムの訪問看護の看護師さんが『痰』を吸引するためだけに来て下さいました自転車

善意で来てくれていると本当に有り難いことなんですが、あとで、ちゃんと請求書は届きますダウン

ついでにと申してはなんですが、血圧、腸閉塞の前兆はないかとお腹に聴診器を当て、大腸がよく動いているか?音を聞いて腸の動きも診てくれますし、腎盂腎炎の疑いはないか?その働き具合やおしっこの色などもチェックして頂けます。

「体の水分、特に喉の渇きは気道分泌液が濃くなって粘ってしまうので、肺の上部や気管にへばり付いちゃうんですよ、痰にもいろいろあって8種類ぐらいの色の痰が出るんですよ。きんちゃんのは全体に白っぽいんですけど、肺の奥から出てくる痰は緑色が混じっていますでしょ?急性気管支炎から慢性気管支炎になっいる、発展途上国みたいなもんですね。どんなに苦しくても今のうちに取り除いておきましょう、えいっ!」看護師

「えいっ!って発展することはいいことじゃないですか!ゴホゴホッビックリマークおじさん

昔、戦前から昭和30年、40年代ごろまで、子どもが風邪をひいて鼻が詰まっていると、母親は自分の口で子どもの鼻水を吸ってた記憶があるんですが、あれは無償の愛がなければ、到底できないと思われる行為ではないでしょうか?

今なら衛生だの感染だのと、とにかく愛はこっちに置いてといて…の話になってしまいます。

私は虚弱体質であったのですが、風邪ひとつひかぬ質なもので鼻水が詰まって難儀をしたことはなかったように思います。

正岡子規が34歳の若さで亡くなったのが、この9月・19日になります。

もう110年以上も前のことではありますが、子規の俳句を紐解けば、私たち庶民の暮らしでも少しの目線の置き方で日々の暮らしが多少ではありますが、彩りがなされて行くように思います。

雅号のひとつとされる「獺祭忌(だっさいき)」と呼ばれるよりも、糸瓜(へちま)の水を毎日欠かさず飲んでいたと言う子規には『糸瓜忌』の方が、どことなくしっくり納まるような気が致します。

絶筆となった3句すべてが糸瓜を頼りにしていた心情が滲み出ているかと思います。

 

『糸瓜咲て 痰のつまりし佛かな』

(へちまさいてたんのつまりしほとけかな)

『痰一斗糸瓜の水も間に合はず』

(たんいっとへちまのみずもまにあわず)

『をとゝひのへちまの水も取らざりき』

(おとといのへちまのみずもとらざりき)

 

「そうか…子規も痰で苦しんでいたのだな。よし!糸瓜を植えてくれい!なんだ?もう芽が出たところで実なんぞならない?そうか…俺は、最初の句になると思うなぁ~肺と喉に痰をこれでもかって言うぐらい溜めこんで死んでやる!」おじさん

まぁ~何に致しましても、張り合う気持ちが思わぬ方向に向きまして、寿命が延びれば、メッケもんでありましょう!

糸瓜の水を使った化粧水ならあるんですけど…試しに飲ませちゃったりして!

どうか、明日もふたりで迎えられますように…