陽を受けた未央柳(びおうやなぎ)は、雄しべも美しく光輝くように咲いております。
中国の詩人・白楽天の名作『長恨歌(ちょうごんか)』は、玄宗皇帝とかの絶世の美女と謳われた楊貴妃の悲恋の物語でありますが、楊貴妃が亡きあと玄宗皇帝はその面影を慕い「太液池(たいえきち)」に赴き、「未央宮」と言う名の宮殿を彷徨います。
『太液の芙蓉、未央の柳』…との詩を詠み、芙蓉は彼女の顔の如く、柳は彼女の眉の如し…未央柳の名は、この一節から付けられたと言われておりまして、楊貴妃の眉に例えられるなど、まことに幸せ、果報な葉を持つ花かと思います。
花言葉さえも「幸せ」と、気品溢れる初夏の花でございます。
この美しさ・気高き花には「美容」の方が合うだろうと、この頃では「美容柳」の字を当て読ませているようですが、これではせっかくの花が泣こうかと言う無粋な気が致します。
未央柳も、そろそろ見納めの季節になろうかと思います。
花の名にも深い意味合いがあるものです。
鎌倉に住む友だちから本が2冊、届きました。
ゆうパックの袋を開けますと友だちの手紙とともに、円覚寺・横田南嶺(よこたなんれい)管長の法話をまとめられた本が入っておりました。
1冊は「青松閑話(せいしょうかんわ)」…大本山円覚寺・日曜説教でお話されたものなどがおさめられています。
「ある日の法話より・いろはにほへと・三」の表紙写真は、方丈で昼寝をしている猫・かなちゃんの、なんとも幸せそうな寝姿です。
横須賀線・北鎌倉駅の背に建つ円覚寺さんは鎌倉五山・第2位の臨済宗大本山であることは、みなさまも知ることかと思います。
その円覚寺さんにお香を納めている友だちは、香道・志野流のお師匠さんでもありまして、そのご縁を活かしてのお心遣いで、家人の名前が入った献呈本にして下さいました。
「あっ…俺の名前」
ちょっと感無量の家人、次の言葉が出て来ぬようです。
『慈』の字とともに書かれた家人の名前もなかなかいい名前でございます。
ひと言・ひと言、ひと文字・ひと文字が胸に沁みて参ります。
「禅のゴールとは何ですか?」と問う学生に…
「ゴールはそこにいるあなたです。いろいろ骨折り、苦労をしてやっと、はじめからここにいたと気がつきます」
南嶺老師はこう答えておられます。
この言葉は、家人の在宅介護をしている今の私を救ってくれたかのように感じました。
死を間に家人と向き合う日々は、死の世界と現の世界とに挟まれ、それぞれが孤独との葛藤でもあります。
いずれ…残される者と残して逝かなければならぬ者と、辛い別れを迎えることになりましょう。
それを受け入れたくない気持ちと、受け入れようとしている自分の冷静さが許せず、やじろべぇのように心はいつも揺れています。
頁を捲るたび、色鮮やかな写真が気持ちを和ませ、明るい気持ちにさせてくれます。
円覚寺境内の草花が陽の光に雨に、そして風に応えるように美しく咲いていて、蝶も蛙も雀も猫も…人間さえも、その風景の中にあるべきものとして存在しています。
活き活きとした陽の光りが眩しすぎ、夜の闇に目を凝らし悲しくて淋しくて・・・気持ちが堪え切れぬほど辛くなったなら、鎌倉に思いを馳せましょう。
この法話を胸に、家人の傍らにいられることが何より「幸せ」と、デンと座っておりましょう。
も・ひとつ、腹を括る覚悟が出来ました。
お師匠さん!心より感謝申し上げます。