遥か海の彼方の出来事ではありますが、300年以上に亘ったイングランドとの連合を解消するか…
『スコットランド・独立』の住民投票が18日に行われ、80パーセントを超える投票率であったとか。
結果は『独立否決』…イングランドとの連合は維持される見通しとなったと讀賣新聞・朝刊で知りました。
真っ先に頭に浮かんだことは…スコットランド出身である、007・ジェームズ・ボンドこと、ショーン・コネリーさん。
スコットランドの独立を切望していたと聞いています。
「ガックリと肩を落としているだろうなぁ~」
「独立を遂げるまではスコットランドには帰らない!」と確固たる信念で、ずっとアメリカに住んでいるそうな…なんか分るような…?分からんような…?
とにかく
イギリス…正式には「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」の国旗は今までと変わりなく世界各国ではためくことになりました!
世界の万国旗を扱っているお店では、ホッとしているかと思いますが、こちらイギリス・ブリティッシュ・モーターズ・コーポレーションの大衆車・ミニローバーも青を塗り潰さなくて済んだぁ~と安堵のため息が聞こえて来そうです
午前中は薄日が差していたのですが、新聞をじっくりと読んでいる間に空は灰色した雲に覆われてしまいました
ぱらぱらと小雨が降って来ないうちにと、急いで自転車に跨り…まっ、簡単に言えば「乗って」でいいんですが、敢えて跨って買い物に行って参りました!
牛乳やらハイボール用の炭酸水を買ったりで、前後のカゴがいっぱいになってしまい、サドルに跨るときにバランスを崩し、怖い思いをしたので人気のない運河の遊歩道に帰り道を変更…!
後ろから…ポンポンポンと言うエンジン音と水を掻き分ける音・チャッポン・チャッポンと言う音が追い駆けて来ます
チラッと振り返って見ましたら、運河の安全を守る「警戒船」でありました。
「負けてなるものかっ!」
自転車のペダルを力いっぱい・全速力で走りました…が、なんだかなぁ~あっと言う間に追い抜かれ、船に乗っているおじさんが手を振っているじゃないですか!
『なんでこんなときに、手なんぞを振るんだ!』とは思いましたが、せっかく振ってくれているのに無視するのも何んですから、グラグラと揺れるハンドルを利き腕で調整しながら、にこやかに手を振りました
こんな危ない思いをするんだったら、普通の歩道で帰りゃぁよかったと、後悔を先に立たせて、あとから見れば杖をついたり転んだりで、いったん自転車を降りて気持ちを落ち着かせ、引いて帰ることにしました。
私どもの歳で骨折でもしようものなら、即・寝たきりになりかねません。
膀胱のない家人より先に寝たきりになってしまっては、家人の苦労は大変なものになってしまいます。
本日は潮の干満の差が大きくなっていく「若潮」であります。
こうして潮が引いていますと、浅瀬の石や岩、護岸に蟹やら小魚やらが姿を現し、エサを探したり、寄合いを開いたり…異種の親睦会を持ったりして共存共栄を図っておるようです。
「うん?あれは…もしかしたら沙魚(はぜ)?」
ウジャウジャおります!
これは一刻も早く家人に知らせ、1匹でも多く釣ってもらって今夜のおかずは天ぷらにしよう!
もう、こうなりますと、欲でもって自転車を漕ぎますから転ぶどころの騒ぎじゃありません。
閉所恐怖症の私は、いつもはガタガタと震えながら乗るエレベーターでありますが、なんのその
荷物を廊下に日暮里…いや、ほっぽり出し、家人に駆け寄りました!
「あーた、天ぷら!天ぷら釣って来て!」
「??きみね、先ず日本語をきちんと習ってから出直してくれる?」
「出直すも何も…沙魚!沙魚がウヨウヨ泳いどるのよ」
「なぬ?沙魚?どこだ?」
ってんで、ふたりして運河に走って行きましたっ
石の上で寛いでいる魚を指差し「ほら!あれ」
メガネを掛け直した家人は小魚を見た瞬間!
「なんだぁ~ダボハゼじゃないか!これはダメだ」
「ダボハゼ~?食べられないのぉ」
「食べられないこともないけどサ、臭みがあるんだよ。俺が釣ってくるのは真沙魚(まはぜ)。はい、残念でした」
「ダボが付くんじゃねぇ…」
野球でも、球をよく見ずになんでも振ってしまう選手のことをダボハゼと言うことがあります
体の割に大きな口を持つ沙魚は悪食でして、手当たり次第口に入れてしまいますので、節操・分別のないことを例えて言います。
「あ~ぁ、天ぷらは遠くになりにけり…かぁ」
トボトボと肩を落として帰って来ました。
「こんな詰まらんことで肩を落としてどうすんだっ!スコットランド出身のショーン・コネリーに申し訳が立たんではないか!もう少ししたら俺が江戸前の真沙魚を釣って来るから、待ってろ!」
「もう少し あぁもう少し もう少し」
「なんだ、そりゃ?」
9月19日・本日は「糸瓜忌(へちまき)」正岡子規の命日であります。
亡くなる日に詠んだ句が3句・絶筆となったその句は、どれも庭に生る糸瓜を詠んだものでありました。
糸瓜の汁は、昔から痰や咳を鎮めると言われておりますから、子規も弱った体を糸瓜に頼ったものと思われます。
1902年…34歳で逝った子規の無念は如何許りかと偲ばれますが、それでも濃密であったろう、その精神に幾ばくか羨む気持ちも覚えます。
『糸瓜咲いて痰のつまりし佛かな』
(いとうりさいてたんのつまりしほとけかな)
子規は糸瓜の黄色い花に見送られ、逝ったのか…
果て?自分が逝く日は、どんな花が咲いているのかなぁ~