天地の気が粛くして、万物があらたまるころ…処暑・次候「天地始粛(てんちはじめてさむし)」が巡って参りました。

「秋隣り」の言葉通り、涼やかな風が吹いた一日となり、夏負けした体もホッとしています。

桜の切株に百日紅(さるすべり)の花びらがこぼれ落ちていました。

俳句では百日紅の季語は「夏」を指しますが、こうして散り落ちた花びらを見ますと、尚いっそう秋が身近に感じることかと思います。

 

『散れば咲き散れば咲きして百日紅』

(ちらばさきちればさきしてさるすべり)

加賀千代女
 

朝顔を多く詠んだ加賀千代女(かがのちよじょ)の一句であります。

「朝顔に つるべ取られてもらい水」と聞けば「あぁ…」と納得される方もおられると思います。

暑く長かった夏を、その名の約束通り咲き続けた百日紅…

足元に百日紅の花びらを見つけたら…ちょいと上を見て、褒めてやって下さいまし。

今では八百屋さんでも季節を通し、水菓子・果物を扱っておりますが、私が子どものころは、水菓子だけを商いにしていたお店がありました。

もちろん今でも立派に水菓子だけで勝負をしている老舗もあります…京橋・千疋屋、八重洲・果山に茅場町・今野、新宿・タカノ…と、どれもみな高級店となって、庶民の寒い懐で買い物するにはチィーとばかり敷居が高くなってしまいました。

昭和の30年代…夏の夕方、母方の叔父が我が家に遊びに来るとき、その手によく西瓜をぶら下げて来てくれたものです。

その西瓜はいつも神田にあった万惣の西瓜でした。

残念ながら万惣は昨年廃業をしてしまい、今はその地に商業ビルが建つとかで工事の大きなクレーンが入っています注意

さて…この時期となりますと、どこのスーパーにも八百屋さんの店先にも旬の桃や葡萄が並んでいますぶどう

下町の八百屋さんで意味不明のことが書いてある紙を見付けました。

はてなマーク「清不要用手按圧桃子」はてなマーク

「?…?ももこ?おじさぁん、これって新しい桃の名前なの?」おとめ座

「どれ?あぁ~それはね、中国語なんだよ。あの国の人ってなんでも指で押しちゃうんだよね。桃なんか指でぐっと押されたら、もう売り物じゃなくなっちゃうわけよ。傷みが来ちゃうしサ。それで口で注意すると逆切れして、カゴをね、桃の上に置いてカゴごと押し付けて潰して行くんだよねぇ。ブドウは勝手に摘まんで子どもに食べさせちゃうしサ、商売あがったりだよむかっ

「指で押しちゃった桃、買っていかないのぉ?えーっ?ブドウも食べっぱなしぃ?集団で来るから怖いの?それは大変だぁ」おとめ座

「この時代、八百屋は辛いよ…だよ。一応警察に相談したらね、まずは中国語で警告文を張りだすようにって言われたわけ。それを無視してやったら、確信犯だから、その桃を買わせることが出来るらしいんだけどね…どっちにしたってイタチごっこだわサ」

昔…母親に手を引かれ、毎日のように下町の商店街に買い物に連れて行かれました。

魚屋さんの店先では「ほら、あれが鯵だよ。お父さんとお兄ちゃんに出すおかずだ。こっちは鰯さね。おっかさんとお前のおかずだよ」

肉屋では「おみえ!豚の三枚肉を200グラム包んで下さいって、大きな声で言ってごらんな」

乾物屋では「これが大豆ってんだ。豆腐や納豆になる豆さね。こっちはシイタケ、干すとこうなるんだよ!水で戻して使うんだ。お前はお煮しめのシイタケってぇと残すだろ?案外に手間が掛かるんだよ」

八百屋では「こっちのキャベツとあっちのキャベツを持ってごらん。どっちが重たいか、手で計ってごらん。分からない?まったくお前は何をやらせてもモノになんないね。これじゃぁいつまで経ってもお使いに出せないじゃないか!」

ブチブチと文句を言われましたが、この母親…瀬戸物屋と酒屋、水果子屋では、外で待ってろと言い付けられ、私を1歩たりとも店の中には入れさせませんでした。

子どもが粗相をして、店の商品を壊したり触ったりしてはいけないと思ったのでしょう。

あの母親のことですから、それはお金を払って引き取るでしょうが、それより何より子どもを店に入れた自分の不注意が癪に触るのを避けたのだと…今では思い当ります。

そういったことで言えば、私は親からまったくと言っていいほど信用されておらぬ子だったと言うことですダウン

まぁ…何んにしたってこの大変なご時世に、厄介な心配事を抱えてしまった八百屋さんであります。

私は、ただ桃を見ていただけなんですが、話を聞いているうちに『見ていただけ』でも買わなきゃなんない妙な雰囲気になってるような…気がして、こっちは気が弱いおばさんなもんで、つい「これ下さい」ってんで、買いましたよっビックリマーク

「まいどありぃ~ビックリマーク

この商売上手なおじさんならば、中国の指押しにも毅然とした態度でもって打ち勝つことと思います!

 

『黒きまで紫深き葡萄かな』

(くろきまでむらさきふかきぶどうかな)

正岡子規

水菓子が大好物だった正岡子規が、果物を詠んだ最後の句となったのがこの葡萄の一句であります。