もうかれこれ、10年になりましょうか
家人が現役を引いて、年金暮らしに仲間入り
私は専業主婦・バリバリの現役なんですが、まぁ…毎日が土日・祝日のような生活をさせてもらっております
7時過ぎに目が覚め、背伸びをしながらの大あくび
暖かな布団の中で、こうしてぬくぬくしているのが至福の時であります
と・同時に今この時、凍った地面に足を取られスッテンコロリ…ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に揺られ、黙々と職場へと向かっている方々、働いている方々に対して、何んとも申し訳がないなぁ~と言う思いが押し寄せてきます
それが旗日を迎えますと、ちょっとホッとすると言いますか、後ろめたさが多少軽くなると言いますか
本日は「皇紀二千六百七十四年・建国記念日」の旗日・祝日であります
下の絵は、神武天皇が東征のとき、苦戦をしていると金色のトビが弓の先に舞い降りて、金色に輝く光りを放って敵を敗走させ、勝利を果たしたとされている、有名な場面が描かれています
この金色のトビを金鵄(きんし)と言いまして、「あっ」と思われる方もおられると思います
そうなんです
家人の名前も「きんし」と言います…もちろんトビを名前に付ける親もおりませんから「鵄」を「志」と変えまして、人々の金鵄になることを志して行けっと言うことでしょうか
「俺の名前は、この金鵄が由来となっているんだ」と、家人は胸を張って申しております
「金鵄輝く日本の栄えある光 身に受けて 今こそ祝えこの朝(あした) 紀元は二千六百年 ああ一億の胸は鳴るぅ~」
家人は朗々と、国民の歌であった「紀元二千六百年」をそらで歌い出しました
この歌を聞き終わるころ
「あれぇその歌って、ゴム跳びの歌に似てるぅ」
私は東京・下町の深川で産まれ育ちましたが、小さないじめにあって幼稚園を登園拒否していましたので、一緒にゴム跳びをする友だちは地元にいませんでした
その代わりと言いますか…母方の従姉妹たちが、川向うの佃島や神田に住んでおりましたものですから、そこの露地裏でよく遊んでもらったことを覚えています
両足に掛けた二本のパンツのゴム紐に足を引っ掛け引っ掛け跳んでいく遊びに、このメロディの歌を歌いながら跳んだものです
「きんし輝く日本の アジアにアメリカヨーロッパ パンパンパリィの見学使 紀元は二千六百年 青い空 鐘が鳴ります キンコンカン~」
凄いですねぇ
私もそらで歌えました
「なんだ、そりゃぁ国民の歌を替え歌にしたんじゃないかっ」
年上の従姉妹たちが、ゴム跳びをするときに必ず口ずさんでいたのをこの耳が覚えていたものと思われます
「俺、この歌の金鵄ってところをサ、学校で囃し立てれてイヤだったなぁ今で言ういじめだよ…きんし、きんしってサ、家に帰って親父に聞いたんだよ、なんでこんな名前付けたんだって」
そしたらば…友人・知人が間違った道へと迷わぬよう、金鵄のように光輝き正しい道への道しるべになることを志としなさい…と諭されたそうです
「ははぁ~で、導いてきたんですか?その広すぎるおでこの光りで」
「やかましいわっどんな光りだっていいじゃないか」
ところが、よぉ~く考えてみれば、周りのみんなに助けられ、導かれていたのは、実はこの俺だったんじゃないかと家人はしみじみと言いました
「結局サ、名前負けしちゃったんだねぇ」
「そうだねぇ」とも言えず
紀元祭を執り行っている富岡八難宮さまにお参りをいたし、国運隆昌と四海の平穏を祈りましょう
崇敬者自ら祓うことができる「大麻(おおぬさ)」が本殿前に置いてあります
「左、右、左」と祓えば、己の穢れをその幣が拭い取って下さいます
ひとりひとりが真っ当に生きて行けば、自ずと良い国になるかと思います
「そうだよねぇ、今からでも遅くはないもんなぁ~親父の言った志を掲げて行こう」
さて私の志はと言いますと、あらぁ思い浮かびません
「見つかるまで、俺の後ろを付いてくればいいんでないの」
「そうですか?では遠慮なく…おんぶに抱っこでお願いいたします」