「四谷・赤坂麹町、チャラチャラ流れる御茶ノ水…」寅さんの口上にも出て参ります御茶ノ水界隈はその昔、この地に名水が湧く泉があったとか…その名水を殿様に献上し、御の字が付いて御茶ノ水の名を頂いたそうです
家人が入院している東京医科歯科大病院のお隣、順天堂大学病院の敷地にある湧水は今もこんこんと水が湧いていて、チャラチャラ・チョロチョロと神田川へと流れ着いているそうです
東京メトロ・丸ノ内線・御茶ノ水駅です
所番地に「御茶ノ水」の名が付く住所はありませんが、江戸時代から続くちょっと粋な響きを持つ名ではないかと思います
池袋行き側の階段を上がって来ますと、東京医科歯科大病院が目の前に見えます
私はこの東京医科歯科大病院を、自分が献体手続きをした千代田区富士見にある日本歯科大学付属病院と勘違いをし、この病院の前を通るたび「死んだら、ここの暗ぁ~い地下室でホルマリンに漬けられるのか」と妙な感慨を覚えたものでした
その勘違いをした病院で、家人が膀胱全摘手術をするとはゆめゆめ思いもしませんでした
人工膀胱・ストーマの取り換えのリハビリも順調に進みまして…ぼそぼそと呟いております
「尿意をまったく感じないってのも、なんか不思議だなぁ」
世の中不思議なことばかりが次から次へと起きるんですから、尿意ぐらいは屁のカッパです
トイレを探し回る心配もなければ、寝たきりになってもおむつは要らないし…一石二鳥どころか、三鳥・サントリーもビックリのストーマです
何事にも前向きな家人から、夜になって携帯にメールが入りました
「あのね、今サ先生が回診に来てくれてね、明日の午前中に退院だって言われたんだけど、大丈夫なの」
「なのって、私に聞かれてもねぇ…先生がそう言われたんなら大丈夫なんじゃないのぉそれにしても、なんでそんな急に退院が決まるわけぇなんかやらかしたの」
「俺も胸に手を当てて考えたんだけどサ、これってのが思い当たらないわけよ先生が『これ以上、医療の必要はありません』って意味深な言葉を残して病室を去って行ったんだよね、そんな言葉を残された感受性豊かな俺としてはだな、ちょっと考えちゃうわけよ」
「東京医科歯科大病院に勤務する先生が必要ないってんだからいいんでないの深く考えすぎるとサ、がんになっちゃうから素直に退院を受け入れた方がいいよ、きんちゃん」
家人は本当に術後のトラブルがひとつもなく、感染症もなければ、放射線に由る他の内臓のダメージもなかったそうです
ですから、病室に設置してある「緊急呼出」のボタンを押すこともなく、酸素吸入のお世話にもならずに済みました
「それでサ、さっき届いた請求書の金額にビックリしちゃって、俺、おしっこ漏らしそうになっちゃった」
「どっから漏らすのよで、幾らなの」
私は軽い気持ちで聞きましたら、なんとっ300万円
「正確にはね、2,957,005円なんだけどね」
そりゃぁ、漏らすわ
「5円ってのは何だろね?普通、端数はオマケだよね」
その請求のほとんどが手術費、所謂技術料と言うことでしょうが、15時間立ちっぱなしでメスを握ってくれた3人の先生のことを思えば…思っても、いざ払うとなるとなぁ
ここからが日本の保険システムのいいところ、後期高齢医療の恩恵もありまして請求書の端っこに書いてある患者が支払う欄には「127,000円」となっています
有り難いことと感謝しつつ支払いを済ませました
今朝、病院の廊下で先生とバッタリと会いまして、今までのお礼を申し上げました
「先生っ今日、いきなり、それも唐突に何んの前触れもなく突然、退院が決まっちゃったんですよ」
「私がその退院を決めたんです…」
「適切な判断かと思いますいろいろとお世話になりました」
いきなりの退院でしたが、お目出度いことには何んら変わりはありません
急いで魚屋さんに駆け付け、鯛を求めて参りました
形が良く大きさもちょうどの鯛が店先にありまして、これなら祝の膳に華を添えてくれるだろうと思います
「お~っ鯛のかぶと煮かぁ…これは目出度いなおかげでここまで生き延びることができたよ本当にありがとう」
こちらこそ長い手術によく耐えてくれました
先生からは「これで無罪放免になったわけではありません。定期的にきちんと健診を受け、少しでも体の変調があったら楽観視せず、必ず病院に来てください。きんちゃん(実際はこんな呼び方はしません)は驚異的な回復をみせましたが、決して油断を怠ってはいけません」と釘を刺されました
「あのサ、いつ鯛の刺身が出てくんの」
「いつって…買ったのは鯛の御頭だけだもん刺身があるわけがないっこれでもサ、鯛の頭だけ買うのって、案外勇気が要るんだよね」
「あっそう」
みなさまには本当に温かい励ましのお言葉をたくさん頂きました
こんな私でも、淋しさや心細さに負けて、家人のいないところでメソメソと泣きも致しました
まだまだ気持ちを引き締めて家人の体を見守っていかねばなりません
何んのための人生かと、この先思い悩む日がやって来るかも知れません
それでも、家人のちょっとした仕種に幸せを感じたり、規則正しい寝息を聞くことができるのなら、それもまた良しと思い切る覚悟も出来たのでは…と私なりに思っています
自分の幸せよりも、まずは家人が幸せと感じてくれるそんな幸せをしみじみと噛み締めております
ありがとうございました