4月唯一の旗日である29日は、元は天皇誕生日・天長節でありました
天皇崩御のため、今生天皇誕生日に移行し、新しい祝日となったのが「みどりの日」
そして…平成19年に「昭和の日」と制定されてから5年が経ちました
鎌倉ではこの日、多くの日の丸を見掛けます
お寺さんや神社、個人のお宅にも日の丸が掲げられ、みっつの名称に対して敬う気持ちを示していると思います
わたくし…平成19年に「昭和の日」普及委員会が主催する「昭和のヒーロー」思い出エピソード募集に応募したのを、思い出しました
応募規定はと言いますと、日本語で400字以内で仕上げなければならず、文字をこねくり回した記憶があります
私が育った下町を描きたいと思い、私にとっての「昭和のヒーロー」とは何んだろうと思い浮かべました
第18回東京大会94ヶ国・7、000人の選手が参加した「1964・東京オリンピック」
宣誓が終わると同時に8、000羽のハトが放たれたとのことです
航空自衛隊・ブルーインパルス5機が五輪の輪を描き始めると、テレビで見ていたおじちゃん・おばちゃんたちが、一斉に外に走り出て、空を見上げたことも覚えています
天皇陛下の開会宣言をなされたあとに、鳴り響いたファンファーレ
30本ものトランペットの音でした
『 逞しきヒーロー 』
ーー それは、体の隅々の毛細血管が開いていくようなトランペットの響きであった。
東京国立競技場から深川の町に、日本中に、そしてその存在さえ知らぬ世界の国々に届いたであろうファンファーレ。
白黒テレビの前に集まった近所のおじちゃんやおばちゃんは、律儀にきちんと正座をし固唾を呑んで東京オリンピックの開会式に見入っていた。
戦後から大人たちが踏ん張って生きてきた証しが、画面から溢れていた。
私にとってのヒーロー、ヒロインは油にまみれ汗を流し、慎ましくも逞しく生きた町の中のおじちゃんやおばちゃんたちである。
あの東京オリンピック・ファンファーレは、そんな庶民の心意気を高らかに称えていた。
この耳で聞いた響きは、紅白の大きな玉を日本人の手でヨイショと一歩あゆみ出た、地べたを行く確かな音に聞こえたような気がした。
玄関に掲げた日の丸の美しさは、今でもくっきりと覚えている。
晴れやかな9歳の秋であった。ーー
お蔭さまで、東京都から表彰状を頂きました
私は「ひょうしょうじょう」のひょうが言えませんで、人が聞くと「しょうしょうじょう」と言っているんだそうです
今もキーボードで打っていましても、「しょうしょうじょう」では上手く変換できませんで、それと気が付くまで難儀いたしました
さて
2020年・東京での開催が決まりますと、なんと56年振りの東京オリンピックです
子どもが運動会を待ち兼ねる気分でございます