夕べからの雨が、飽きもせずに降り続ています
容赦なく空から落ちてくる雨粒は、小さな虫たちにとっては大変な試練であり、大きな打撃となります
カマキリやコオロギは、軒下や植木鉢の下に潜り込み、雨宿りをしています…
バッタなどは、こうして葉の裏にしがみ付き、何んとか雨を凌いでいるようです
茗荷の葉にチョコンといるのは、褄黒大横這(つまぐろおおよこばい)…
翅の先が黒く、着物の褄のように見えるところから、こんな粋な名前を付けてもらえました
ヨコバイから『こ』を抜いたら、ちょっとヤ・バイ名前になっていたかもしれません
ところが、この横這という名にも理に適った訳があります
危険を感じると、ツ・ツツッーと横に這うように移動する、カニみたいな虫なんです
今日はいち日、雨の予報が出てるけど、ファイトッ
「止まない雨はない。降らない雨もない」…お天気博士の倉嶋厚さんも、そう言ってくれているよ
今日のお墓参りは、足元が悪かったことと思います
「もしもし?私」実家の兄に電話をしました
「おみえちゃんかさみいねぇ
年上の弟は達者でいるか
」
「うん、達者でおるよところでサ、お兄ちゃんお墓参り行ってくれた
」
「…」
「もしもし…行ってないんでしょっ
なんで行かないのよ!今から行って来てよ!お母さん、待ってるよ
」
「待ってるかなぁさみいし、雨降ってるしサ…かえってお袋に心配かけちゃいけないと思って、遠慮したんだ」
「あ・ぁ~遠慮って…何よ?お墓に遠慮してどうすんのよっ!まったく
」
今月中には、必ず行くと約束させて、受話器を叩きつけましたっ
父と母が…そして、会ったことも話したこともないご先祖様が眠っているお墓に、私も兄も…季節の節目にしか行くことがなくなりました
昨日秋分の日に、姑・すゑさんのお墓参りを済ませ、おはぎを食べながら
家人と、おびんずるさまの話をしました
【すゑさん物語】そろそろ、続きを始めましょう
9月の初めに、長野・栄村から善光寺さん、小布施へと、家人とふたり珍道中をして参りました
旅の中日に訪ねた善光寺さんで、「賓頭盧尊者」のお像の前に立ち、ご本堂で見つけた御守りを手に取って、家人がしみじみと呟いておりました
「もしかしたら、これと同じものじゃないかな?懐かしいなぁ」
すゑさんは、「詩吟の会」の仲間たちと一緒に「川中島」の千曲川を眺め、善光寺さんを訪ねたと話してくれたことがあります
「お袋も、きっとこの「おびんずるさま」を撫でたんだろうね頭まで手が届かなかったんじゃないかな
」
家人がまだご幼少のころ…?近所にあるお寺さんに、石で彫られた「賓頭盧尊者像」が安置されていたそうです
電気使い放題の今の子どもと違いまして、昔の子どもが「遊ぶ」となりますと、とにかく自分の体を使わなくては、何も始まりません
体を張って遊びますから、落ちようが転ぼうが、ケガを怖がっているようでは男が廃ります
少年くん…腕や膝をすり傷だらけにして家に帰りますと、母親であるすゑさんが割烹着で手を拭きながら、こう言ったそうです
「あれまぁ~!ほらっ!すぐにおびんずるさまに行って、さすっておいで」
もう辺りは薄暗くなっています
家からお寺さんまでは一本道で、10ワットぐらいのぼんやりした電灯がポツン・ポツンとあるだけ
このころから、広すぎるおでこだった少年くんは、その逢魔が時の薄闇にビビッてしまいました
「ハイ」と返事をしたものの…少年くん。
門を出てから、家の周りを何周かして「ただいまぁ」と帰り、澄ました顔をしていたそうです
すゑさんは、そんなことはすっかりお見通しだったことと思います
母親とはそういったもんです
すゑさんは、境内の掃除をしたり、お花を供えたり、涎掛けを新しいものに替えたりと、我が子の無事を願い、せっせとやっていたのではないでしょうか
すゑさんにも若い時があった…らしいんですが、軽い頭痛持ちだったと聞きました
学校から帰って来てた少年くん、母親が臥せっているのを見ると、お寺さんへ行き「おびんずるさま」の頭を撫でて、その撫でた手をぎゅっと包んで走って戻り、すゑさんの頭を摩った…という微笑ましい話を、当人・少年
くん
つまり、家人が涙ながらに、脚色満載で話してくれました
父親が町医者だったにも係わらず、診察室に行くよりも、まずは「おびんずるさま」に行けという…ヤブ医者だったのかしらん?まことに安上がりな一家だったようであります
すゑさんが眠るお墓に線香を上げに来るのは、もう私たちの代で終わりでしょう
骨を拾ってもらえる幸せを、私はこの大震災で改めて思うことができました
そして、それまでの愛する人たちの骨をひろえた幸せと、母を献体に出せた安堵感も、今…改めて噛み締めています
兄に押しつけてしまった、実家の墓参り
お彼岸が終わってしまうけれど、兄を誘って行ってこよう
私も、骨をひろってもらえる逝き方であれば、いつか…すゑさんの眠るお墓に入ることになるでしょう
すゑさんが生きている間、呼ぶことがなかった「お義母さん」と声に出してみました
母を呼ぶ「お母さん」と、何んら変わることがない自分の声に、ちょっと安心いたしました
お義母さん
そこは散っていく花びらのため息が聞こえるの
石を打つ雨音は響いてくるの
木々の揺さぶる風の香りは届いてくるの
秋の虫は…私を想って鳴いてくれるだろうか
心残りを上げたら、キリがありません
その時が来るまで、善光寺さんで頂いてきた「おびんずるさまの御守り」
大事に身に付けています