7月を旧称の「文月(ふみづき)」と声に出してみますと、暑中見舞いの葉書でも書こうか…と思いますから不思議なものです
今日・23日を「ふみ文」と語呂を合わせ、郵政省が「文の日」と制定するのも納得であります
いつも電話で話す友人に、たまには手紙を書いてみましょうか
いつも携帯のメールで用件だけを打って済ます娘に、葉書でも出してみようかな
錆び付いたおつむりで書く手紙は、平仮名ばかりで、なかなか漢字への変換が上手くいきません
リハビリのつもりで…せいぜい手紙を書いて、おつむりを使いましょう
今日は、姑・すゑさんの命日でもありまして、亡くなってもう10年が経ちます
東の空がむらさき色に変わるころ、静かに息を引き取りました
明け方から、カナカナが…それはそれは澄んだ声で啼いて、夏の日の始まりを告げていた、朝のことでした
140センチにも満たない小さなすゑさんでしたが、生きるパワー・好奇心の溢れたお姑さんだったと思います
嫁である私のいびりにもよく耐え、辛抱強い人でもありました
今朝早くに、鎌倉の端っこにあるお寺さんにお墓参りに行って来ました
すゑさんは70を越えても、ひとり気ままがいいと言って、気丈夫にもひとり暮らしを通していました
耳が遠いすゑさんには、電話のベルが聞こえず…待てど暮らせど、電話口に出やしません
仕方なく週の月
水
金に着くよう、絵手紙を送り始めました
旬の野菜や魚、庭に咲いている、その時々の花などを書いて送ったものでした
「葉書を読んだら、電話をちょうだい」と毎回、葉書の最後に書いておきまして、すゑさんからの電話を待ちます
「もしもーし?あたし。今ね、ポストから葉書、取ってきた今日の絵は何を書いてあるのか…分からないわ
えっ?冬瓜のあんかけ?なんでそんなもん、書くのよ考えこんじゃったじゃない
生きてるかって
生きてるわよ
水戸黄門始まるから、切るわよ!ありがとね」
そんなやり取りが3年ほど続いたでしょうか
足腰も、そして…すっかり気も弱くなったすゑさんは、広げた私の腕の中に、ヨタヨタと飛び込んで来てくれ、一緒に暮らし始めたのでした
すゑさんのお墓参りから帰ってくると、石段の木の上から何やら視線を感じます
ヒョィと見上げましたら、丸ぁるい背中をした、虫が覗いていました
この虫は…きっとセスジツユムシの第4、5齢幼虫かと思います
透きとおるような黄みどり色の、とてもかわいい目をしたバッタです
もしかしたらすゑさんからの手紙を言付かって来てくれたのかも知れません
期待を込めて開けたポストには…そう、何も届いてはいませんでした
陽が昇り始めたころ…いつの間にか、カナカナは啼くのをやめていました
「すゑさん、8月のお盆には元気な姿を見せに帰ってきてね」