小さな虫・オオカマキリの命が消えたとて、世の中の動きに何んの乱れも起きません
オオカマキリの「ふくちゃん」は、ライティング・デスクの上にあるカマキリランドが大のお気に入りでした
きっとバンジージャンプから勢い余って、落ちてしまったのでしょう
「ふくちゃん」珍しく畳に下りてるなぁと思いながら近付いていくと、カマを畳んで息絶えておりました。
その死をじっと見守っているのは、同じころ我が家にやって来たオオカマキリ「王久東」です
カマキリは肉食ですから、捕えようと間合いを計っているのかと見ておりましたら、いえいえ、このカマを落とし上半身を沈めております
明日はわが身よと、同じカマキリが横たわっているその姿に、己を重ねているようにも見えまして、しばらくそのままにしておきました。
太陽が昇ってくる暖かい気配がしてきます
一瞬、ふっと、世の中のあらゆるものが止まってしまったような・・・淋しさに襲われました。
手の平に乗せたカマキリの腹はひんやりと冷たく、一切の未練も見せぬ鉱物を思わせる意志を感じました。
「土に還ろうね、ふくちゃん」
すっかり葉を落とし、春いち番に花を咲かす『春告げ花』になろうと、せっせせっせと蕾を膨らませている梅の木です
梅の枝にとっては、ちょっとお邪魔虫のミノムシが、のんびりとぶら下がっております
バラ科を好むミノムシだと、ニトベミノガの幼虫かも知れません
私が子供のころ、東京下町にもミノムシぐらいはおりました・が、下町・露地裏にバラの木など、どこを探しても見つかるもんじゃありません
梅の木は、幼稚園の隣にあったお寺さんに植わってはいましたが、植木屋を惜しむ和尚さんの手で切られ、ミノムシもソッポを向くほどの無残な枝ぶり?でした
「『桜切るバカ 梅切らぬバカ』って言うけどもサ、ああ何んでもかんでも切っちゃぁ梅が可哀想だよ梅の無念が聞こえるじゃないかっ」と、我が母・梅子さんは嘆いておりました
その母が、軒下にぶら下がっている大きなミノムシを見付け、それを上手に引っぺがし…私に向かって、手招きします
「早くおいでなっ」
ここで「はぁ~い」と間延びした返事をしようものなら「日が暮れちまうだろ」と、はたかれますからね、「はいっ!」どんなに狭い部屋でも駆け付ける体制をとったもんです
ちゃぶ台にはいろいろな毛糸の残り糸と、千代紙の端キレ、紙切りバサミ、小さな空き箱が置いてあります
母親は、ちゃぶ台の向かいを指して「ここにお座り」と案外に優しく言うじゃありませんか
言われるままに、チョコンと正座をしたもんです
「いいかい?その空き箱の中に、毛糸と千代紙を細かく切って入れてごらんな」
そう言いながら、母親は手本を見せてくれました
私はその気の小ささから、幼稚園にはなかなか馴染めずに休みがちとなり、後半はほとんど登園拒否となってしまいまして、幼稚園で教わるであろう細かな手作業や工作など知らずにいたのです
母親は、そんなことなどまるで気にしていない様子でしたが、日がないち日、浮かない顔をしている我が娘の気晴らしをしてくれたのでしょう
「よし、そのくらいあれば充分だ!ここからが肝心要に入るんだ。よぉく、その目を張って見てるんだよっ分かったかい」
母親は私から紙切りバサミを取り上げると、ミノムシの蓑をえらく神妙な顔をしまして、切り開いております
中からは、こ汚く貧相な芋虫のような虫が這って出て来ました
母親は、それをヒョィと摘まむと、細かく切ったきれいな色合いをした毛糸や千代紙の箱の中に入れました
「これでよし少し静かにさせて置くと、面白いもんが出来てるよ。町内一周しておいで」
芋虫と、毛糸と千代紙で、いったい何が面白いのか。
気が気でなくて、一周どころか、露地裏の角まで行って戻って来てしまいました
そっと玄関から入って、ちゃぶ台の上を見ても、さっきの小箱はありません
仕方なく、ブラブラと駄菓子屋の縁台に腰を掛け、おばちゃんがもんじゃ焼き用の炭を熾しているのをぼんやりと眺めていました
そろそろ・・・小学校低学年の生意気なガキンチョが帰ってくる時間になったようです
駄菓子屋のおばちゃんは、私が幼稚園に行かれぬことを内心、可哀想だと思っていてくれていたのか、時々、割れてしまったソースせんべいなどを手渡してくれました
「どこの町内をほっつき歩いてたんだよっほら、来てごらんな」
箱のふたを取ったら
それはそれはきれいな、虹色の衣をまとったミノムシがいました
ミノムシは枯れ葉や小枝の代わりに、毛糸や千代紙を体から出す粘液で固め、身にまとったのです
「面白いだろきれいなおべべ着て、いいお正月が迎えられるね」
そうか、母親と、ああしてミノムシで遊んだのも、こんな年の瀬であったのか・・・
ミノムシを見上げ、「お前もきれいなおべべが欲しいかい」と訊ねてみましたが、あれは私への母親がくれた、ささやかな贈り物であったのですから、このミノムシにはこの蓑が、何よりの「きれいなおべべ」であるはずです。
ミノムシはチチ・チと鳴くと、その昔は言われていたそうです。
『蓑虫は父と啼く夜を母の夢』
(みのむしはちちとなくよをははのゆめ)
高浜虚子
私が木に触れても感じぬ…梅の枝にドクン・ドクンと流れる生命力を、ミノムシはきっと肌で感じ取っているのでしょう
「いいお正月を迎えようね」
空に放ったこの言葉が、遠く北の果てまで届くといいなぁ~