夕べの強い雨風を軒下でやり過ごしたのでしょう
干し柿とも知らず、コカマキリが日向ぼっこをしていました
渋柿は日に当たり、冷たい風に晒され、水分が抜けてひと回り小さくなったような気がします
コカマキリ付き・干し柿として売り出そうと密かにそろばんを弾いております
今朝のスポーツ報知・トップ見出しがこれ…「談志が死んだ」とあります
落語家の立川談志さんが亡くなっての亡者記事がこんなに大きく扱われ、然も声に出して読んでみますと「だんしがしんだ」…山本山の海苔と一緒じゃん
上から読んでも下から読んでも同じ回文になっているんです
ご自分で付けたと言う戒名は十一文字、お位牌に納まるのでしょうか
『立川雲黒斎家元勝手居士』
(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)
合掌
映画監督・小津安二郎さんの命日と同時に誕生日でもある12月12日を前に「しのぶ会」が開かれ、第8回「麦秋忌・お茶漬けの味」を観に藤沢へ行って来ました
「南国忌」の直木三十五六、「桜桃忌」と偲ばれる太宰治、「菜の花忌」と慕われる司馬遼太郎と、作家に付く忌日名は珍しくありませんが、映画監督では初めてではないでしょうか
鎌倉の小津ファンが、代表作「麦秋」にちなんで「麦秋忌」と名付け、節目ごとに作品を上映しております
なかなかによい忌日名だと思います
小津監督は東京・深川亀住町に産まれ、24年間をこの下町で暮らしました。
途中、青年時代を三重県松阪で過ごしたあと、晩年は北鎌倉に居を移し、この地で亡くなりました。
私も、深川の町で産まれ育ちましたものですから、あとは鎌倉で終わることが出来れば、どなたかに「小津監督みたい」と言われるかもと期待しております
江東区文化センター「江東シネマプラザ」に、小津家のご協力で小津安二郎監督の書簡や写真と一緒に、「ヘソの緒」が展示されています
今年108歳と、亡くなった監督の歳を数えるのも失礼なんですが、今は北鎌倉は円覚寺に静かに眠っておられます
還暦の誕生日が命日となった12日には、「」と言うひと文字が石に彫られたお墓に、たくさんの花が手向けられているそうです
木下恵介監督もお近くにいらっしゃいます
「麦秋忌」を立ち上げた麦秋会・代表の渡利晴夫さんが所有しているポスターの原画が張り出されていました
懐かしい伝説の劇画師・植木金矢さんの作品です
下の3枚は、左が晩春、右上が「青い山脈」、右下が「ノンちゃん雲にのる」です
どれもこれもあの原節子さんが活き活きと描かれています
映画「麦秋」に出演していた井川邦子さんが開いた喫茶店「井川」が、鎌倉・本覚寺さんの裏手に今もあります
注文を受けてから、生クリームを立ててくれるウィンナコーヒーの美味しさは、何んとも贅沢な気分にさせてくれます
以前・・・ここ雪ノ下に越して来る前に、私どもが住んおりましたのが、この井川邦子さんが住んでおられた家でして、横須賀線の線路のすぐそばの扇ヶ谷にあります
さてさて、肝心の映画「お茶漬けの味」ですが、これはもうわたくしの永遠の憧れ
「サブリどん」こと佐分利信さんが出ている、これだけでいいんです
撮影当時43歳のときの作品なんですが、ちょっとふっくらとしておりまして「阿修羅のごとく」の渋さはまだ出てはおりませなんだ・・・
背広姿よりも、着物の着こなしに色気がありまして、沼の底から響いてくるようなあの声とともに、痺れちゃいます
笠智衆さんが、パチンコ屋の店主になって出ているんですが、いったい幾つなのか?歳を超えた演技です
正座の美しさ・日本語の美しさ・立ち振る舞いの美しさ
すっかり忘れておりました
佐分利信は、お茶漬けをかっ込む姿さえも美しい
画面のほとんどがローアングルでして、どうしてもその下を覗こうとする私は首が疲れてしまいました
サブリどんは大変な愛妻家だったそうで、そこのところは我が家と変わらずでございます
「夫婦とは、お茶漬けの味のようなもの」
明日は、永谷園のお茶漬けといきますか