関東甲信が梅雨に入ったと聞いて、流しの水回りと食器棚の整理と掃除をを始めたら、雲の切れ間から強い陽の光が射して来ましたフキフキ

鎌倉で山を後ろに背負っていますと、湿気が家の中に忍び込んで来まして、終ってある楊枝や竹串など、すぐにカビが生えてきてしまいます青カビさん

食器棚の奥に、2011年度・上半期に割ってしまった器や、欠けてしまった豆皿などがまとめて置いてありますハート

いつか「金継ぎ(きんつぎ)」に出そう…出来れば自分で繕ってみたいなぁと思う愛着ある焼き物ばかりですゴールドハートダブル

割れてしまった焼き物を、漆で固め、継いでから金でもって装飾を施す…謂わば修理方法のひとつですbrush

メダルと一緒で、金があるんですから、もちろん銀も胴もあるんじゃないのハテナブロックシルバーメダルブロンズメダル

ありましたチョキ

皿や徳利などに色を合わせて継いでいくのでしょうね日本酒

「金継ぎ」で思い出すのが、茅場町にある「天ぷら・みかわ」です。

美味しい天ぷらと言うと、ここの名が上がるほど有名なお店・でした。

私は天ぷらは一代限りだと思っていますので、この「みかわ」の暖簾を背負った店主・早乙女さんが、息子さんに店を任せた時点で早乙女さんの「みかわ」は終わったと思います。

今は江東区・福住に、こじんまりとしたお店を出して、謂わば隠居の枯れた味の乙な天ぷらを食べさせてくれます。

その天ぷら屋だけに、油がのった美味い天ぷらを出していたころの「みかわ」の話になりますが、私は「みかわ」の天ぷらもさることながら、ここの酢の物は天下一品であったと思います。

この酢の物を頼むと、赤貝に小柱が少々、青のりと大根おろしが添えられています。

赤貝が絶品で、「みかわ」の酢の物になるために産まれてきたような・・・と思わせる赤貝で、咽るほどの酢液にも負けない力強さを持った赤貝です。

これを鮨に握ったら上手いだろうと思うのだけれど、この肉厚、歯ごたえ、香りを思うと、やはり酢の物に限ると思います。

実のところ、この「赤貝の酢の物」で一杯やって、お土産に揚げ玉を貰って帰ってもいいほどなんです。

ここで日本酒を頼みますと、早乙女さんの友人が焼く、お猪口・ぐい呑みが前に置かれます。

空いている時ですと、カゴに入っている、気に入ったお猪口を選ぶことができ、それもまた飲む前の楽しみでもありました。

先に来てカウンター席に座っていた隣の客が、私のお気に入りの「ぶどう柄のお猪口」で熱燗を飲んでいた時は「あぁ~」…ガックリとしたことも思い出されます。

また逆に、あとからやって来て、斜め前の席に座った客がチラチラと、あれは私を見ているんではなく「おれのぐい呑みで飲んでいやがる」と悔しい横目でもあったのだなと、今になって思いつこうと言うものです。

その大事なお猪口や徳利に金継ぎが施してありますと「あらぁ~」と肩を落とすには落とすんですが、これがまたいい味わいを醸し出して、「これはこれでいいじゃない?」と納得をするんですね。

ひとえに金を継ぐ側のセンスなんだと感じる時でもあります。

徳利の口が欠けてしまい、そのままその徳利で酒を注がれると、なんかこう・・・なめくじ長屋で飲んでいる気がしますが、金継ぎのあたりから継がれると、何やら酒が旨くなるような気がして参りますから、不思議なもんです。

この茅場町の店に斉藤さんと言う、番頭さんのようなおじさんがいまして、今夜はこの斉藤さんの話をちょこっと致したいと思います。

私を「みかわ」に連れて行ってくれたのは、美味しいものを人に食べさせるのが大好きという大変親切で有り難い、大手出版社に勤める方でした。

もうかれこれ25年も昔のことになるでしょうか。

それからは、その方が離れても時々、通うようになりました。

私は子供を大人の店には連れて行くことはしないので、きっと娘が修学旅行か何かで家にいない時にこっそり行ったと思います。

斉藤さんは明らかに客を見る…こちら側からすれば見られているわけですが、私はこの斉藤さんに育てられたと思っています。

美味い物を美味いと食べる、ごく簡単なことなんですが、その姿勢を教えてもらったような気がします。

これはこのあと、どんな店に行っても、快く受け入れられ、美味い物を食べさせてもらったと、私は感謝しています。

歳の頃は…当時50を少し超えたか、とうに超えていたか?

堅気であるような・そうでないような…律儀のように思わせて、そうではないような?

口数は少ないんですが、注文を受ける声は口跡明瞭ですから、とてもきれいな東京弁に聞こえたものです。 

斉藤さんとはひと言で言ってしまえば「馬が合った」ということでしょう。

美味しい天ぷらを味わうこともさることながら、私はこの斉藤さんがカウンターの表を仕切る技にも、また名店の良き味を感じていたのだと思うようになっていきました。

店に予約の電話を入れる時に聞く、あのちょっとした間をおく受け方は、細い露地裏にある店を、充分に思い起こさせる「時」であったのだとも思います。

カウンター席に座って、背に感じる斉藤さんの視線を、今、とても懐かしく思い出しています。

その気迫の視線は、今はもう大分丸くなり、張りのあったあの声も、大分穏やかになって、ひと仕事もふた仕事も済ませた斉藤さんの姿は、東京の下町の露地裏に静かに溶け込んでいくような、そんな気がします。

斉藤さん、私が予約を入れた日は、そっとあの「ぶどう柄のお猪口」を、さりげなく置いてくれました。

実はお気づきの方もいらっしゃると思いますが、昨日のブログ更新は出来ませんでした(Θ_Θ)すまん

760偏ちかく書いている中で、休んだのは3月11日の大震災の日と、その翌日の12日だけでした・・・

30日は旧知の友人たちと酒盛りをやりまして、はっ!気が付いた時は、娘の部屋の片隅で「柴犬・うに」に顔をなめられている有様で、すべては、あとのまつりでございました親分怒りまつり

で・この「みかわ」で宴会をやったのかとお思いでしょうが、違います笑

さんざん思わせ振りをしまして、申し訳ありません土下座

明日6月のおついたちは、静かに盛り上がった寿司屋「銀座・寿司幸」さんの握りを写真だけですが、味わって下さいこはだ

今日、鎌倉に帰るとき「うに」は愛のウィンクをして送り出してくれました親分怒り