今日1月10日は、鎌倉小町にある本覚寺さんの十日夷でした提灯
朝も早くから、この賑わいようsei 

境内には、「福笹」を手渡す福娘の明るい声が響きます福

「家内安全ビックリマーク商売繁盛合格お祈り申し上げますぅほっぺ

12時からは夷堂前で、餅つきが行われ、ついたお餅は「福餅」として振る舞われますfukutowel☆☆

昨日のお詫びとともに、福をいっぱい盛り込んでお届けします招き猫

いろいろあったパソコンの接続も目出度く済ますことがかない、まことに「家内安全」でこざいます土下座

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さて、新しいパソコンの使い初めが、私の母親の話とは恐れ入谷の鬼子母神ではありますが、厄落としにはちょうどいいかもしれません数珠 お経 仏教 念仏 墓

親の三十三回忌を、私のこの歳で迎えるには、ちょっと早かったかなぁと思いますお線香

「おっかさんの三十三回忌を終えれば親孝行も済んだことになる。梅ちゃんも喜んでるよ。おとっつあんの十七回忌なんぞは放っときゃぁいいんだよムカっおじさんおじさん比呂おばさんおばさんやすこちゃんプーパパ自画像

母方の親戚ですから、母が亡くなったあと、さっさと再婚していった父には厳しいもんがありますむー

しかも、私たち兄妹がそのあたりのことを何ぁ~んとも思っていないところにも「面白くない」らしいんです男おとめ座ヤレヤレ・・・

「お兄ちゃん、みんなさぁ~心が狭いよねぇ~ヒソヒソおとめ座

「なぁ~あんな親父引き取ってくれただけでもあり難いわな…幸せな老後だったしなぁヒソヒソ男

父は再婚をして、本当に幸せな晩年を過ごせたと思っていますハート腰

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さてさて、おとといの話は行列に並んだ母親が、店のねえさんに掛けた声で終わってしまいました。

新聞記事の下に割り込ませた小さい写真は、若かりし頃の母です。

昭和30年代に子育てをし、やり繰りをしながら走り回っていた母親は、元来の気の強さ、男勝りの気性でしたから、容赦なくこう言い放ったことと思われますヤレヤレ・・・

「ちょいとっ!ねえさんビックリ勝手するんじゃないよ!こちらとら、さっきから並んでるんだ!ヒマで並んでるじゃないよっ!こっちはきちんとこうして順番守ってんだ!先を急いでるもんだっているんだよ!赤ん坊置いて来てんのもいるんだよ!ちょいとっ!じぃさんビックリ列のお尻にお並びよ!そうでなきゃぁ、順番に断わりを入れてからそこにお座りな!ほら、ねえさん!手を休めるんじゃないよ!さっさと済ませておくれな」誰

母親が言う「人情」とは…

人情とは公平なもんだ。老いも若いも男も女も平等だ。

「人情」をあから様に見せちゃぁいけないよ。

こんな大っぴらに年寄りに押し付けちまっちゃぁ、哀れになっちまうんだよ。

あとで困るのはじぃさまと、後回しにされちまったお客だ。

人情を掛けたようでサ、しっかりこのねえさんは「商売」をこなしただけさね。

ここで母親が眉間にシワを寄せたのは、道理を弁えているものが、弁えていないものの尻拭い、後始末をさせられる…そのことを指して目くじらを立てたのです。

「人情」と言う言葉の前には、よく「義理」が付きます。

東京っ子の人情は、羽織の裏のようなものだと思います。

はっきりとした意志、好み、色遣いを表地にはもってきません。

それでいて、はらりと脱いだ時に「あら?」と思わせる…芸者は芸者の、堅気は堅気なりに…脱ぎ方と言っても、そこはそれなりに工夫があるんです。

見たほうだって、すぐさま口に出して褒めるようなことしやしません。

人情は人の情けと書きますが、歳を、不自由を貧しさを理由に、こちらから貰いにいっちゃぁいけません。

人情は、大通りと平行にある露地裏に抜ける道のようなもんだと、その抜け方が難しいものだと、母に教わったように思います。

「人情ってぇのは掛け捨てだ。帳尻をあわせちゃいけないよ。人に気づかれちまう人情は野暮ってもんだよ」

母親の細かな仕草を、もう思い出すことは出来ません。

その声も、爪の形も、悲しいかな匂いまでも、娘であるこの私は、忘れてしまいました。

正しいのか、そうでないのかは分かりません。

ただ、下町の点のような片隅に、肩寄せ合って生きてきた人たちに、この姉さんが掛けた人情は野暮なんだと言い置いてくれました誰

「お母さん、こっちは元気にやってるよコドモ:G・お兄ちゃんのことが心配だろうけど大丈夫。毎日、達者で庭に穴掘って暮らしてるよ男ありがとね梅

生きていれば…今年で八十八。

私は、母親が見ることがなかった五十五の歳を、何んとか生きていますピンク