いよいよ大晦日です
やることはすべてやった
あとは飲むだけだ
NHK紅白歌合戦でさえ、知らない歌手の方が多くなってしまい、字余りな歌は何を歌っているのか…サッパリ分かりません
耳も多少なりとも遠くなっておりますし、なにしろ呂律が回らないのはこちらの方ですからね…無理を言っちゃぁいけません。
歳を重ねると何か良いことのように言われますが、私の場合は単に歳を喰っちゃっているだけですから、来年も肩身が狭い一年になりそうです
大晦日ではないのですが、12月も押し詰まったころの、ちょっと慌てた話を紅白は諦めてお聞き下さい。
【すゑさん物語】第14弾「無事確保」の始まりです
まだ、ここ雪ノ下に越してくる前、扇ヶ谷でのことでした
12月も半ばの頃、お正月を一緒に過そうと、まだひとりで暮らしていたすゑさんを車で迎えに行きました
例によってすゑさんはマイペース
だんだん年の瀬も迫り、掃除やら買い物やら、市役所へ行ったり銀行へ行ったりと私はすゑさんを家に置いて出かけることが多くなりました
その日も…お昼ご飯を済ませ、居間でテレビを見ながらウトウトとしている「すゑさん」までは覚えていました
つけっぱなしにしているテレビの音は耳に入っていましたから、横になっている姿はなくとも、トイレかな?寝返りを打ってソファの下に転がっているのかいなと、別段気にもしていませんでした
自分がトイレに行ったあと、すゑさんの様子を見に行ったら…相変わらずテレビはついたまま…肝心のすゑさんの姿はありません
寝室…いない。和室…おらん。納戸…あれぇ?ソファの下にも、風呂場にもいません。
玄関に脱いであったすゑさんの靴が見当たりません!
「まさか出奔?すわ逐電かぁ?単なる家出か?」
慌ててサンダルを突っかけ、捜しに行きました
途中で、ガスとテレビと電気が気になりいち度戻り、指差し確認をしてから出直すあたりは、さすが賢い主婦です
そのころは、徘徊とか認知症とかも詳しくは知りませんで、咄嗟に頭に浮かんだのが迷子?でした。
携帯も私たちにはまだ気軽に手にするなど、考えもしなかった時代です。
冬至が過ぎたとは言え、ほんのちょっぴり陽が延びた程度です
陽が山の端に隠れたと思ったら、気温がグッと下がります
「すゑさぁんすゑさぁ~んやぁい」と、娘っ子を呼ぶわけにもいかず、困り果ててしまいました。
酒屋さんや八百屋さんに聞いても、ちょうど忙しい時間時で年寄りひとりに稼ぎの邪魔をするわけにもいきません。
家人は、いち度家を出たなら、仕事柄つかまる確率は低く、アテにすることはできず…かと言って、姑ですから放っておくことも敵いません。
交番に寄って「これこれこういう姿形の年寄りの行方が分かりません。どうしたらいいですか?」と助けを求めに行きました。
「心あたりを捜したのならば、あとは家に帰って連絡を待っていて下さい」
あっちの露地裏を覗いたり…こっちの甘味屋さんを覗いたり…
もうすっかり暗くなって小町の電灯も灯り始めました。
何も羽織ってこなかったので、背中にブルブルと寒気が這い上がってきます。
玄関の鍵を掛けずに待ちました。
冷えた体を、すぐ温めるようにお風呂も沸かして待ちました。
好きなカブの味噌汁を少し濃い目の味付けで作り、待ちました。
行方が知れずに待った4時間…交番から電話がありました
「すゑさんですね?佐助のトンネルの手前で保護しました。ちょっとケガをしてますがしっかりしていますので安心して下さい。交番まで迎えに来て下さい」
ケガってどこ?って思いはしましたが、無事と聞いて正直…迎えに行くのぉ~?と思いました。
私は運転免許を持っていませんので、自転車で引き取りに行っても、帰りは前のカゴに乗せてくるわけにもいきません
帰りにタクシーを奮発するにしても、行きはどうしたって歩きです
とにかく…出かける用意を急いでしている最中に、また電話
「俺だ!今、鎌倉駅に着いたぞ。寒いから風呂、熱くしといてくれ」
「ちょっとぉ~!グッドタイミングウゥ~駅前の交番にすゑさんがいるから、連れて帰って来てよぉ」
「???の」だったでしょうが、20分も経ったころ、タクシーから降りたすゑさんは、息子に手を引かれて無事に帰って来たのでありました
転んで左の頬と左手の甲に、血がこびり付いています。
それまで…何んとはなしに鬱陶しいと感じていた姑・すゑさんを、両手を広げて胸に抱きしめました。
「お義母さん!」
それから私はこの無邪気なすゑさんを、いつも心に留めて暮らせるようになったのです
すゑさんが亡くなってしまってからも、12月になると「迷子になったすゑさん」を思い出します
「人形(ひとがた)」に名前と歳を書き込み、息を吹きかけ納めます
この吹きかけた口が「災いの元」にならぬよう気をつけよう
今年の年越しは「たぬき顔の柴犬・うに」が一緒です
みなさま、どうぞよいお年をお迎え下さい