今日は我が家の門にも、細い松と輪飾りを括り付け、お正月のそれらしく納まりました
やれやれひと仕事終わったと、石段を上がってきたら、丸池のすぐ脇で緑も鮮やかなカナブンが、地面に頭を突っ込んでいる様子
暮れも押し詰まってきたというのに、一心に穴を掘っているのでしょうか
嫌な予感…まさかお前、私のお兄ちゃんの真似して、暗黒の地・ペルー目指して掘り始めたんじゃなぁあるまいね
そんな大それたアホなことをするなと、止めようとお尻をど突いたら…カナブンは仰向けにひっくり返ってしまいました
「あっ」
そのカナブンにはもうすでに頭はなく、背中の輝くような緑とは対照に物悲しい滑稽さがありました。
夏も終わり、秋が過ぎ、土に返っているんだねぇ
人が畳の上で死にたいと願うのなら、虫が願うのはやはり土の上にと、なるのでしょうか?
「大往生願いが叶ってよかったね」
相変わらず、ペルーを目指し庭に穴を掘っている兄にも休息が必要かと思いやり、ちょっと早い年越し蕎麦をと誘ってみましたら、ホイホイ乗ってきました
昼間から、ゆるりと蕎麦屋で酒を飲む…故・杉浦日向子さんを思い出します
著書「ソバ屋で憩う」を読んでいますと、本当に蕎麦を手繰ってみたくなったもんです
人様が汗水流して働いている昼日中に、店の奥でぼんやりとぬる燗を飲みながら過す時間のなんと贅沢なことよ…
自分が頭を抱えて原稿用紙に向かっている時に、「あ~ぁ今頃、旨い酒を飲んでいる・の・がいるだろう…羨ましい」
まことに同感です
店の端っこで、兄が手を振っているのが見えます
「よぉ~ここだここだ久しぶりだな。年上の弟は元気か」
「元気だよ何時に来て飲んどるのよ」
女将さんが笑って迎えてくれてますので、取りあえず「かまぼこを」
「おみえちゃんサ、かまぼこのどこがいいわけ
その積み木みたいなかまぼこのどこがいいわけよ」
人との待ち合わせの時間より勝手に早く来て、すでに出来上がっている兄は、妙にかまぼこに絡んでくるんです
「かまぼこにわけなどないのサ。かまぼこ思う、故にかまぼこあり…てな事よこれって、神茂のかまぼこかな」
「横の岩のりちょうだい」
「今日ね、庭でカナブン見つけたのよそれがよ、地べたに頭突っ込んでペルーまで穴を掘ってんのよなんかサ、お兄ちゃんの姿と重なって悲しかったわっ」
「穴思う、故に穴あり…志が高いカナブンだなカナブンに乾杯」
「献杯だねで・お母さんの三十三回忌だけど、年明けてすぐやるの法事の時も喪主って言うのかな?主催者?お兄ちゃんがしっかりしてくれないと、お母さんがっかりするよ」
「三十三回忌かぁ。お袋が死んで三十三回忌を迎えるなんて、夢にも思ってなかったもんなぁ~
もうとっくに俺の十七回忌を迎えてると思ってたしサァ俺も死んじゃってることにして、おみえちゃんやってよ」
「お兄ちゃん、そんな図々しいこと言わないでよ庭の穴を全部埋めてから死んでよね」
そうだよ・お兄ちゃん。そんな悲しいこと言っちゃいやだ
情けなくてまったく!頼りにならないけど、淋しいよ
もう少しこのまま、兄妹やろうよグスン
「ん元気だせ…なっ!そうだな、あと三十年は頑張るからサ」
「そこまでは私の十七回忌だよ」
砂場名物「天もり」を、ふたりして、しんみりと涙と一緒にすすりました
さて、杉浦日向子さんは江戸通としても、その博識には目を瞠り、まさに現代を生きながらも江戸に生きていたと感じる人でありました
日向子さんも、きっとこの写楽の描く大首絵に夢中になったことでしょう
島田荘司・著『写楽 閉じた国の幻』670ページにも及ぶ大長編です
謎に包まれた、浮世絵師・写楽とはいったい誰なのか?を手繰っていく物語・面白い
「ははぁ~」と感心したのは、写楽は多くの浮世絵師が描いたとされる「春画」を一枚も描いてない
そう言えば、皮肉たっぷりに描いた役者や遊女の大首絵ばかりです
実はこの本の下にあるのは「春画」です
さぁて、どなたが描いたものなのか?
謎解きはいかがですか