戦後の残り香がかすかに漂う時代に生まれた自分は 物心がしっかりついた後にも 軍歌が家に存在していた。

その曲名はわからずとも父親が物思いにふけって口ずさんでいたから 知らず知らず記憶に刻み込まれた。

近所には 爆撃で左腕を失った若い男性。その人は敗戦後にはひどく荒れたとその奥さんが母に語るのをかたわらで見ていた。

片腕で器用にミシンをこなし縫製を生業としたその家族は一間のアパートに住んでいた。
小さな女の子と生まれたばかりの赤ちゃんがいて、気がむくと遊びに行った。その人の寡黙な後ろ姿に穏やかだけれど近づきがたい怖さがあった。

渋谷の東横線ガード下にはハーモニカを吹き 募金を求める元傷痍軍人たちを見かけた。
脚がなかったり 肘から先かがなかったり 地面に四つん這いになり じっとアスファルトをみつめていた。

私よりも少し上の生まれには、食糧不足の記憶がうっすらあるという。コッペパンやただの食パンが貴重品だった。

戦争を生きた大人たちが 老齢期にはいり戦後生まれが社会の要になる頃には、おのずと戦争は忘れさられ その名残は感じられなくなった。

私たちのような戦後の匂いを嗅いだ世代が高齢者となり いつしか消えていく前に、時には あの戦争を語り、綴っていきたいとおもう。