やっと分かったけれども、

それを書けない、共有できない

というのはとても辛くて悲しい。

これはいつも いちばんキツイ。

 

きっと多くの人が

愛ではなく恐れと感じてしまうから

書いちゃいけない、というのは

いつもつきまとって、それに関しては自由な場はものすごく少ない。

 

嘘をついて隠している気分にもなる。

 

でも、恐れさせちゃいけないというのは

とても大切なことなのだと......

 

 

 

それでも

今何か書かずにはいられないでいるのは

「みんな 目覚めよう」

 

ちがうな

 

「みんな もう目覚めていることに気づこうよ」

「事実はすごく美しいよ」

 

と言いたい思いがマックスだから。


最近は、ちゃんと他者達がいて、

本当に現実的に大事にすべきと思うからでもあり、でも美しく、本当にはここにはいないのも分かる。


 

 

 

 

なんでジーザスは死んだの?

なんでJFKは死んだの?

なんでマーティン・ルーサー・キングは死んだの?

なんで気づいた人は死んだの?

 

でもなんで死んでないの?

 

過去・現在・未来というのは

本当は何なのか?

 

数限りなくある現在って

どういうことなのか?

 

 

 

これを知った分で今感じているだけでも

そのとほうもない愛は

想像外で、計り知れない大きさです。

 

過去は過去じゃなく

未来も未来じゃなく

すべて今だという意味が分かり

 

その愛の壮大さに

勘違いしていてごめんなさいという思い、感謝という言葉では言いきれない思いに、床にくずれては立ち上がりを繰り返している際中に今います。

 

後悔でも悲しみでもなく、言葉にすると

「そういうことだったのか ああ」の一言ですが、

 

衝撃的な嬉しい事実は

 

バカだった自分を本当にバカだと思い

 

自分を自分で騙してたと思い

 

それをどれほど目覚めさせようと

してくれていたかに気づいて

 

グルグルと思いが巡って

体もじっとしていられないくらいにしてくれています。

 

今ひとりで、この部屋を動き回ったり、

ジャンプしたり、床になだれたりしながら

吸収しているといころなのでしょう。

 

私はきっと今ここに書くことで

それを乗せたいんですよね。

だって...

 

 

 

 

 

私たちは「目覚めよ」と

どれだけ強くどれだけ壮大に

応援され、サポートされているか

 

それがどれだけ強い「目覚めよ」なのか

 

目に見えているどこからどこまで嘘か

どこまでただ自分で選んだだけのことか

 

目覚めよう!