『Be』『I am』
これをただやろうとするのは難しく、きっと修行のようになってしまうけれども、目的やつじつまが分かったら、そうでいたくなってそうする。
そうしたら、喜びがたえず自動発生するようになった。
朝起きてすぐから嬉しさとワクワクがあり、一日中ずっと喜んでいる。何が起こっても起こらなくても、どんな思考や感情が上がってきても関係がない。「良い」出来事や「良い」気持ちすらも関係がない。別のもので、透明で澄んでいて、静かでワクワクしている。
でも数日すると、本当にこれだけをやってればいいのかという疑念が湧き始めてきた。こんなに喜んでいるだけでうまくいくのかと。
それでも、そこで珍しくデイビッドを見て、デイビッドがレアなことを言うというストーリーがすぐに登場する。
デイビッドは楽しそうに笑いながら
「朝起きてベッドの中で I am! I am being!だ 」
と言う。
「今までもデイビッドは、『Be』『I am』なんて、こんなことを頻繁に言ってたんだろうか?私が聞いてなかっただけなのだろうか?」と思うことになる。
どうあれ、だからまた、安心して簡単さに戻ります。
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疑念が湧いたらすぐに、強力な安心をくれるという素早さが、本当に人生がラブレターそのものだということを思います。デイビッドという私にとって信頼できる存在からの言葉というのも、レアさも、そういう設定自体もラブレターです。
「修行や取り組みとしての赦し」のようにやるのではなく、これから幸せになるためにやるべきことなのでもなく、安心と喜びの中で、簡単に赦せていくのを見る優しい道を自分にあげます。
どんな感情も思考も、ただの音でしかなく、重い音も軽い音も、何も変える必要はありません。音というだけのことです。音を変えたいということが苦しみの原因です。音をなくしたいというのも苦しくなる原因です。私たちは音なのではなく、音が鳴っているのを聞いている。音が鳴っているのを知っている場。Be、I amしているけれど、「I am 音」ではありません。
完全に分かっているのではないけれど、分かるとも思う。この中途半端さの中だけれど...久しぶりに書いた感じがします💫💫💫
Be