すべての願いは必ず叶う。かならず。
私は4、5年前、英語に手を出した。
でも実は、別に英語を学びたいわけでも、話せるようになりたいわけでもなく、ただ、デイビッドとムージの動画を"ちゃんと”見たかっただけだ。
この自分で訳すというのは、怒りが募ったことではじまった。こんなにも募らなかったら手を出さなかっただろうと思う。
最初は、1か月かかってやっと7分を訳し終えるほどに遅かったけれど、とても充実していた。
それで、今は
7分を7分で見ることができる。
ガイダンスを肉声で、手軽に聞くことができる。
参加して、たくさんの奇跡を聞くこともできる。
私がむかし受けたガイダンスは「本物しか聞くな 間違いを聞くと迷うから」。心から全くそうだと思って以来、本物かどうかが私にとっては大きなキーポイントになり、とてもこだわる。でもこれによって、迷いなく信頼することができる。
だから今では、デイビッドやムージだけでなく、英語を話すたくさんの“本物”の人たちから手軽に聞くことになったというのは、想像もしていなかったことだ。
何冊もある読みかけの本を、あちこち読むことができるのもそう。何十冊あっても1冊しか持っていないのと同じで、そのとき読むものをそのときに開く。英語で書いてある本を読むことになるなど想像もしていなかったのだから、これが手軽にできるというのは...。これが、奇跡講座モードだけでは余計ややこしくなってしまうような超えられない壁を、偉大な聖人たちが残してくれたものが、容易に超えさせてくれる。
結局のところ
“本物を正確に聞きたい”という願いが叶っている。
今思えば、あれは神の声を聞きたいという願いでしかなかったというわけだ。
異国の友達というモノが欲しいとも思わなかったし、英語のスキルというモノを得て何かに役立てようとも思わなかった。
結局このプレゼントが膨らみ続ける。
私は英語に対して苦手意識があるから、英語が記号やサインのように見えていて、とても特別だ。おかげで英語を話す人たちより敏感に言葉を考えさせてもらっているだろうし、何と訳したらいいかと悩むことで、言葉で表せないニュアンスにも近づくことができる。英語は占いで使う星とよく似ていて、一言にたくさん入っている。
だからこそ、もちろん、コースのテキストとワークの訳にも腹が立つことにもなる。自分で日本語にしながら読むことになったけれど、この作業が大好き。遅いけれど早い。
それ以外にも英語ストーリーはたくさんある。
たかが英語という一つのツールがもたらしているものは大きい。何の利益にもならないこの英語を利用した作業は、ただ怒りに燃えて始まったのに。
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どの願いも必ず叶う。
そして延長し続ける。
だから大事なのは
表面の形の下にある
「本当は何を願っているのか」だ。
たとえ怒りのように見えても
それは実は怒りなのではないかもしれない。
願っているのは本当は何なのか...
病気が治ったら...と願えば
病気があったりなかったりするということが叶う。
お金があったら...と願えば
お金があったりなかったりするということが叶う。
これは 増えたり減ったりすることが可能な
“モノ”を願えば、増えたり減ったりが叶うということ。
でもこの中でさえ、実は本当は何を願っているのかに気づければ、叶っていることに気づけるだろう。
実は幸せを願っているのだと気づければ、きっと、その“モノ”を手放せるようにというステップだけが起こっていると気づけるから。
そして だからこそ
『私は神が創造したままの私である』
これが事実として分かることを願ったら
どんなことになるか...
愛のみを願ったら
どんなことになるか...
素敵すぎるよね☺❤
まあ、愛を直接求めはじめたら
ハンパではない抵抗も味わう。
自我にとってはいちばん入ってほしくないところに踏み込んでいるのだろう。
それでも
それほどの抵抗があること自体が
素敵すぎるよね。
『私は神が創造したままの私である』
を知れるようにと
本当に願っているということになるから。
いまの強力な助けは
ロイヤルファミリー💃🕺
毎日、毎日、娘とこれを見て、「自分を愛そう 自分で行こう」と、たまらなさから来る嬉しいため息をつきながら心が固まる。
私たちは、凸凹マイティコンパニオンだ。私たちはパリスとカースティンと、ゲイのカレンが特にお気に入りで、ずっと目で追いかけ、彼らはたくさんの心のニュアンスをくれる。ダンスが上手い人はたくさんいるけれど、それだけじゃないから上手いということ。自分に対して踊れなかったらああは踊れない。全部足して、全部引いた引き算ダンス。
足してはゼロになって、
足してはゼロになって、
たくさん自分を得る。
コースの中のジーザスの言葉でいえば、自我ではない大文字のSelf。