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進行性胃がん(ステージ3)と闘っている母親を持つ息子のブログ

さいたま市の某所で猫二匹と進行性胃がん(ステージ3)
の母親と暮らしている30代の独身男が、「がんと闘う
家族の記録」を日々綴っていくブログです。

伯父夫婦宅での療養6日目。

午前7時頃、起床。

朝食後、所用のため、一時帰宅。

帰宅中、訪問介護の女性がやって来て、洗髪、

身体洗浄、オムツ替え、点滴の処置。

抗がん剤をタキソールに切り替えて「抜け毛」が

始まって以来、一度も髪を洗っていなかったお袋

であるが、久しぶりの洗髪で見た目にもずいぶんと

さっぱりとなった。

午前11時30分頃、点滴の後処理のため、伯父夫婦

宅へ戻る。

午後、訪問介護ステーションから電話。

臨終の時が近づいていると判断したのか、夕方もう一度

お伺いしたいとの事。

午後5時頃、看護師1名と実習生1名来訪。

体温および血圧測定の結果、やや体温は高いが血圧は

安定しているとの事。

もっとも、痰が頻繁にからむようになったため、「吸引機」

を借りる事にする。

その後、お袋の幼馴染の男性が見舞いにやって来る。

夜、兄貴と俺の二人でオムツ替えを担当。

また、吸引機で数回痰を除去する。

脳梗塞が進行したのか、最早、こちらの呼び掛けにいっさい

反応する事もなく、ずっと同じ姿勢のまま、手足を動かす事も

なくなった。

瞳孔反応なし。

いわゆる「脳死」に近い状態と思われる。

唯一の救いがあるとすれば、もう「痛み」や「苦しみ」のために、

地獄のような思いをする能力さえ失われた事である。

すでに「人間としての命」を終え、あとは「生物としての命」の

火がゆっくりと消え去ろうとしている。

昨晩と同じく親子三人川の字で寝て、今夜は、俺がずっとお袋

の手を握りながら就寝。

伯父夫婦宅での療養5日目。

午前6時、起床。

相続関係の手続きのため、兄貴一時帰宅。

午前10時頃、訪問看護の女性が来宅。

最早、いつ亡くなってもおかしくない状態という事で、

「死の前後の状態とその対処について」

というタイトルの臨終の際に患者に現れる様々な兆候を

箇条書きしたリストを手渡される。

まさに「とうとう」「いよいよ」という心境。

自分の中の緊張感が一気に高まる。

点滴中、自宅の雑用を片づけるため、一時帰宅。

午後1時頃、父方の伯父(長男)が見舞いにやって来る。

その後、八王子の伯母と七里の伯母親子が到着。

午後2時頃、兄貴が差し入れのケーキ持参で伯父夫婦宅

に戻って来る。

夕方、雑用を済ませるため、もう一度帰宅。

その際、隣家の奥さん(町内会副会長)にお袋の状況を

すべて打ち明け、今後の協力をお願いする。

伯父夫婦宅に戻った後、みんなでケーキを囲んで束の間の

ティータイム。

お袋には、ケーキ代わりに、小さな氷の粒を口のそばに持って

いくと、そのまま10粒程自ら食べる。

夜、お袋の身体の洗浄とオムツ替えを息子二人(兄貴と俺)で

担当。

すでに会話こそ不可能になっているが、こちらの呼び掛けに

「うめき声」で反応したり、オムツを履かせるために身体を動かした

際に、はっきりと「痛い」としゃべる等、所々でまだ「意識が生きて

いる」といった印象。

また、「鼻を掻く」「髪に触る」「足を動かす」「ずり落ちたズボンを

自ら直す」といった能動的な行動も随所で見られ、まるで

「失われゆく脳機能と最期まで失われまいとする脳機能」がお袋

の中で必死に闘っているように見える。

伯父夫婦宅での療養4日目。

自治医大での定期検診までの「つなぎ」として、

自宅近くの大宮共立病院で点滴の予定。

朝、伯母がお袋を起こそうとするが、意識不明で

歩行不可能だったため、とりあえず、伯母一人で病院へ

向かう事にする。

午前11時頃、病院の伯母からケータイへ電話。

ここ数日のお袋の容態を説明した所、


「余命一ヶ月」


を宣告されたとの事。

兄貴のケータイへ至急連絡した後、とりあえず、俺一人

で病院へ駆けつける。

診察室で待っていたのは、自治医大でのお袋の主治医

である岡田先生、共立病院での担当医である猪原先生、

先に病院へ来ていた伯母の3名と看護師数名。

伯母と一緒に現時点での詳しい状況を説明すると、改めて、

先生お二方から「余命一ヶ月」を言い渡される。

骨髄に転移した事で体中にがん細胞が散らばった結果、

主治医の岡田先生でさえ驚くほどのスピードでがんが進行

したようである。

また、意識障害で会話が出来なくなっているのは、「脳梗塞」

の疑いがあるとの事。

その後、遅れてやって来た兄貴と猪原先生、看護師2名、伯母、

俺の6名で、「今後の方針(最期の迎え方)」を相談する。

「出来るだけ自宅で」というお袋の意思と訪問看護の受け入れ

態勢を考慮した結果、


「お袋の生まれ育った場所である伯父夫婦宅(実家)で家族・親戚

一同に見守られながら静かに臨終の時を迎える」


という方針を選択。

俺が会計を済ませている間、兄貴は、お袋の会社関係に連絡。

正午頃、今後の予期せぬ出費に備えて、銀行へ。

午後1時頃、兄貴の連絡を受けた同僚の方々(支店長、男性の営業

1名、女性の事務1名)がお袋の見舞いに、直接、伯父夫婦宅を

訪れる。

本日、6月20日は、お袋の「正式な退職日」で、本来ならば、こちら

から事務所にご挨拶に伺わなければならなかったはずであるが、

逆に、会社のみなさんにご足労願う結果となった。

午後3時30分頃、主治医の岡田先生(今日は共立病院に出向中)

と若い看護師の女性1名が点滴を打ちに伯父夫婦宅へやって来る。

採血後、点滴の準備。

その後、訪問介護ステーションの責任者の年配女性が合流。

点滴のセッティングを終えた岡田先生と介護責任者の女性が

去る際に、「お袋の状態を『生』で観た率直な感想」を窺った所、


「もって今月いっぱい(余命10日)と思います」


との事。

ここまで岡田先生の予想をはるかに上回るスピードで悪化して

いる事を考えると、「2~3日以内」も覚悟しなければならない状況と、

改めて覚悟する。

その後、「点滴の後処理」の方法を説明して、若い看護師の女性も

伯父夫婦宅を後にする。

午後5時30分頃、点滴終了。

事前のレクチャー通りに後始末をする。

その直後、お袋の数十年来の親友から偶然お袋のケータイに

「近況」を尋ねるメールが届く。

兄貴が直接電話で現在の状況を報告。

午後6時頃、財産処分について不動産屋と相談するため、兄貴が一時

帰宅。

午後8時30分頃、兄貴が外泊用の荷物を持って、再び、伯父夫婦

宅へ戻って来る。

続けて、兄嫁、長女、次女がお袋の元へやって来る。

兄ファミリーと入れ替わりで、自宅の用事を済ませるため、俺も

一時帰宅。

着替えのパジャマを持って、再び、伯父夫婦宅へ。

午後10時頃、兄ファミリーと入れ替わりで、近所に住んでいる伯母

(次女)とその娘が見舞いにやって来る。

その後、元介護士である伯母の娘の助けを借りて、お袋の全身洗浄と

オムツ替えをする。

その間、兄貴が父方の伯母(長女)に電話連絡。

午後11時30分頃、伯母親子が帰宅。

午前1時頃、親子三人(お袋・兄貴・俺)で、一緒の部屋で就寝。

親子で「川の字」になってひとつの部屋で寝るのは、意外にもこれが


「生まれて初めての経験」


である。

ここ数週間のお袋の容体変化がまさに「急転直下」だったため、正直、

「訳が分からない」の一言。

勿論、死ぬほど悲しく、はらわたが引きちぎれるほど悔しい気持ちで

いっぱいであるが、今は取り急ぎ解決すべき課題が山積みで、

「涙を流している暇もない」

というのが実情。