去年の今頃は暖かい日が多かった。
道路を挟んで、筋向いの家の杏は
3月12日に花が満開になった。
ピンクの花は 青空に映えて、とても綺麗だった。
カシャッ、カシャッと
愛用のiPadで写真のシャッターを押した。
iPadの写真は非常に鮮明で美しく
気分良く何枚も撮って行った。
日付けも入るので 3月12日ということが分かった訳だ。
ところが、その日の夕方
警察の人が来て
杏の木の下で
近所の人と2、3人で何か話をしていた。
「何だろう?」
訝しがっていたら
その家に住む一人暮らしのお婆さんが
中で亡くなっていたらしい。
暮れには庭先の鬱蒼とした植物の手入れをしていたのは見たけれど…
それから病気で寝込んでいたのかもしれない。
特別に付き合いもなくて
何も知らなかった。
その日
空を仰ぐようにして咲いていた
満開の杏は
人知れずひっそりと旅立ったお婆さんを
見送る花となった。
いつもの年より早く咲いた杏は
皆にお婆さんのことを 知らせたかったのかもしれない。
その杏の花は 今年はもう見られない。
誰も住む人の居なくなった家の周りは
きれいに片付けられ
杏の木は切られてしまった。
ちょうど一年経った今
もう杏は咲かず
お婆さんも居ないのだと
改めて気付かされる。
毎年、
春が来たのを
最初に教えてくれる杏の開花は
待ち遠しいものだった。
わたしの春先の楽しみの一つだった。
そこに杏の木があり
その家のお婆さんが居る…
というのは、
当たり前の風景だった。
それは
一枚の風景写真のように
時間が止まったまま
わたしの記憶の中に
いつまでも残っている。
杏の花とお婆さんの
やさしく、そしてほろり哀しい思い出を
わたしは、そっと胸に仕舞う。
道路を挟んで、筋向いの家の杏は
3月12日に花が満開になった。
ピンクの花は 青空に映えて、とても綺麗だった。
カシャッ、カシャッと
愛用のiPadで写真のシャッターを押した。
iPadの写真は非常に鮮明で美しく
気分良く何枚も撮って行った。
日付けも入るので 3月12日ということが分かった訳だ。
ところが、その日の夕方
警察の人が来て
杏の木の下で
近所の人と2、3人で何か話をしていた。
「何だろう?」
訝しがっていたら
その家に住む一人暮らしのお婆さんが
中で亡くなっていたらしい。
暮れには庭先の鬱蒼とした植物の手入れをしていたのは見たけれど…
それから病気で寝込んでいたのかもしれない。
特別に付き合いもなくて
何も知らなかった。
その日
空を仰ぐようにして咲いていた
満開の杏は
人知れずひっそりと旅立ったお婆さんを
見送る花となった。
いつもの年より早く咲いた杏は
皆にお婆さんのことを 知らせたかったのかもしれない。
その杏の花は 今年はもう見られない。
誰も住む人の居なくなった家の周りは
きれいに片付けられ
杏の木は切られてしまった。
ちょうど一年経った今
もう杏は咲かず
お婆さんも居ないのだと
改めて気付かされる。
毎年、
春が来たのを
最初に教えてくれる杏の開花は
待ち遠しいものだった。
わたしの春先の楽しみの一つだった。
そこに杏の木があり
その家のお婆さんが居る…
というのは、
当たり前の風景だった。
それは
一枚の風景写真のように
時間が止まったまま
わたしの記憶の中に
いつまでも残っている。
杏の花とお婆さんの
やさしく、そしてほろり哀しい思い出を
わたしは、そっと胸に仕舞う。