高校の同級生の寺の住職が、音楽会をやるから見にこいという。昨年は、寺の一室にレストランを開業したから食べにこいと言った。仕方がないので悪友4人でまたまた出かけたが。

 

一応、若者の間では知る人ぞ知る歌手だそうだが、私を含め仲間3人は知らなかった。会場は若い人が大勢集まっていた、場違いなのは我ら4人であった。歌も字余りな歌いにくそうな曲だった。終わった後に住職との飲み会がなければ早々に帰っていたところだ。辛い我慢の時間であった。

 

そもそも、寺がなんでこんなことをやらにゃあならんのだ。住職曰く、このままじゃ寺がいつ潰れるかもわからんから、できるだけ人を呼び込んで、お金を落としてもらいたいと。

 

友人のA君が「お前(住職)、幼稚園を2か所経営して奥さんと二人で園長やっているから金には困らんだろう。外車には乗っているし・・・」と茶化している。住職も少子化の中で幼稚園もどうなるかわからんからと反撃。

 

寺の本分は苦しんでいる人の人生相談だろう。お釈迦さんだって生老病死の苦しみから抜け出そうとして修行したとお前(住職)言っていたじゃないかと突っ込みたい。それなのに、そんな人生相談なんて、一言も宣伝していない。ホームページもXもインスタも全て寺のレストランとイベントばかり。

 

葬式仏教で儲からなくなったから、次はレストランやイベントで人を集め、仏縁を作っているなどと勝手な言い訳をするんだろうな。寺が潰れて、誰が困るんだ。やはり住職か。