今年も原爆記念式典が催されているとのニュースが流れております。若い頃からずっと平和を祈念する日本人のひとりであることに変わりはないのですが年齢と共にその実態は随分と変わってまいりました。戦争なんてやって得する人間はいないから絶対にやってはいけないと信じてきましたが国それぞれに事情があり必ずしもそれに賛同できる人たちばかりではないんだということを認めざるを得ないようになってしまいました。先日もあるYouTube番組でやっておりましたが、特にロシアなどでは歴史を振り返ると戦争ばかりやって来たこともあり平時と戦争中の捉え方が我々日本人と全く逆の方が結構たくさんいらっしゃるのですよねえ。平時というのは次の戦争のための準備期間でむしろ戦時中というのが当たり前だと考える人もあると知って驚いてしまいました。考えてみればロシアって1700~1900年の頃には旧ソ連の国々だけでなくバルト三国、ポーランドやフィンランド、中央アジアや満州など広大な領土を占めており、北米大陸のアラスカまでそうだったのですから、戦争を通じて国家が栄えて来たと言っても過言ではありません。そうした国家の歴史を考えれば大方の日本人のように戦争なんてするもんじゃない、したって何の得にもならないと考えることの方が寧ろ難しいのかもしれません。政治は政治家に任せる、庶民はお国がやることを信じて下手に口を出さない...そういう考え方になってしまうのも宜なるかなだと感じてしまいます。ウクライナ戦争が始まった当初、多くのロシア人が人気観光地でもあるクリミアにバカンスに出かけてすぐ近くの沖合に軍艦がたくさん停泊しているのを横目に砂浜で寛いでいる姿を見たとき、「すぐ近くのウクライナで激しい戦争が繰り広げられているのに、この人たちってどういう神経をしているんだろう...」と少々呆れてその報道に接したものです。大半のオルガリヒと呼ばれる裕福なロシア人にとって国家と個人は全く別の存在で、兎に角自分たちに迷惑のかからない状態で国家を運営してくれたら何をやってもらっても関知しないというコンセンサスが出来上がっているのでしょうね。日本人がある意味誇りにしていた憲法9条が今では殆どの欧米の若者たちからお花畑だと驚かれるように、第二次世界大戦直後からすると平和に対する世界の価値観はもう大きく変貌してしまいました。原爆記念式典の様子を見るにつけ、ずっと昨日の繰り返しで同じようなことをしていても平和ってどんどん遠ざかって行ってしまうだけみたいな気がしてしまいます。なにかにつけて日本は大きな岐路にあるという事実だけが重くのしかかっているような...。