貯まりに貯まったCDを処分しようと整理していたら中島みゆきさんの初期のベストアルバムが出て来て、ちょうどそのタイミングでTV放映もあったものだから聴くとは無しに先日から耳を傾けております。多分30年前後も忘れていたCDなので寧ろ新鮮な響きがあります。当時の彼女は確かに良い曲をリリースしていたものの、同じ北海道出身の別の歌手に入れあげて、怨念のこもったものが多く、正直なところ友人たちの間でも「近寄るとやばいヤツ」という受け止め方をする人が多かったように記憶しております。曲も歌詞もいいのだけれど井戸の底から手招きする貞子さんみたいな雰囲気がどうも一歩引いてしまう原因だったような気がします。でもあれからずっとヒット曲を書き続けている大御所なので日本人なら誰でも知っているほど有名で凄い方であることは間違いのない所でありましょう。でも今改めて初期のヒット曲を聴いてみますと、ほとんど現在とは別モノだったんだなと思えてまいります。失恋してそれが詩を書く原動力だったでしょうから詩の「重さ」が違います。リアルタイムで恋愛の詩を誂えていた時と今とでは心に響くものがやはり違って来るようです。同じ彼女が楽曲を作り、それを演奏しているのに当時とは見た目も眼力が違いますし、魂から来る叫びもまるで別人みたいに思えてしまいます。昔の彼女はもっと詩がストレートで、他のシンガーソングライターには無い鋭い感性があった気がします。「誘惑」という曲の「悲しみを一片囓るごとに子供は悲しいと言えない大人に育つ」とか「わかれうた」の「別れはいつもついて来る、幸せの後ろをついて来る」とか、いつも自然に頷けるフレーズが洩れなく付いておりました。年と共に抽象的な表現が増えて、若いギラギラしたストレートな表現が影を潜めてしまったようで個人的には「やっぱり昔は良かった」と一端のジジ臭い感想しか抱けないのですよねえ。自分の心を代弁してくれるような詩って、いつの時代も支持されるものだと思うのですが、それが若いアーティストからは受け止め切れないこと自体が人間として焼きが回ってしまった証拠でもあるのでしょうか...。米津玄師やあいみょんだっていいと思うけれど、それって朝ドラじゃねえか!ある年齢に達した時期からオッサン、オバサンも含めて歌の世界の版図は死ぬまで変わらないもののようです。