「露と落ち露と消えにし我が身かな、浪速のことも夢のまた夢」というのが確かかの太閤秀吉の辞世の句だったと思うのですが、葉っぱの上にポトリと落ちた露が日の光に照らされていつの間にか蒸発して消えてしまう...人生とはそういうものだとずっと思っておりました。でも今の時代は案外そうでもなくてそんなに簡単には死なせてもらえないのですよねえ。「死ぬコスト」みたいなものが半端なくて他人に迷惑かけないようにしたいと考えると数百万円くらいの蓄えは別途必要になるみたいです。これまで財産だと思っていたものが何もかも「負の財産」でしかなく、例えばよく話題に上るように葬儀屋に支払う葬式代が百万円前後はかかります。「それくらいは十分想定してたし大丈夫」と思ったらきついのはそこじゃなくて、オヤジの時の例で言えばその後の法事でお寺に払う費用が150万で足りませんでした。葬式にお坊さんが7人も来ると言うので「そんなに要らないからもっと減らしてよ」と言っても「これはセットなので削れません」と聞く耳を持ちません。その後の供養も毎週きっちり決まっていて「ウチは初七日と四十九日だけでいいです」と辞退したら、お経を上げてくれるワケでもないのにその分も徴収されます。こんなお寺ならもう墓じまいしてしまおうかと調べてみたら離檀料が30万円(これは相場がないので言い値みたいですが)前後かかるみたいだし、それで終わりじゃなくて今度はお墓を元通りの更地にしなくてはならず墓石の処分でその費用が下手すると百万では足りない?これじゃあ死ねませんって...。自宅を処分するのにも木造の小さな家で百万超え、鉄筋の大きな家だと下手すりゃ数百万、周りを見渡しても空き家としか見えない住宅がどんどん増えているのも頷けます。老後の蓄えが二千万必要だとする試算は生活して行くための経費だけで死亡コストは含んでいませんから結局は足りないのです。それでもまだ終活を考えることのできる人は寧ろ恵まれた人種で、今や日本人の何割かは貯蓄をしたくてもできない「貯蓄ゼロ」という状態ですし、何とか後始末をできそうだと安堵していたらお馴染みの自然災害で計画がぶっ飛んでしまう...。庶民の暮らしもこうなら社会インフラなども老朽化の一途でメンテナンスができていないですし、どうやって生きればいいのでしょうか?アベノミクスで庶民は円安を甘受し、預貯金金利も献上して空前と言われる大企業の売り上げ増に貢献してきたのに、自然に朽ちることもできないのが今の日本なのですかねえ。日本の庶民というのは最早「露」以下の存在になってしまったみたいです。何度も言ってますが下らない政争をやってないで早く国会議員の全取っ替えをやりなさいよ!贅沢言わなきゃ誰もが何とか生きて行けたバブルの時代から、フツウにしてたらみんな生きて行けない時代に落ちぶれたのは誰のせいですか?