手前味噌みたいなお話になりますが若い頃からワタシは何でも案外飲み込みが早いと周囲からは評されておりました。「1を聞いて10を知る」と言ったら大袈裟ですが少なくとも2や3は先走って理解するタイプでした。ところが加齢と共にそうした傾向はどんどん減衰して「今や10を聞いて1を知る」残念な人に成り下がっております。だいたい認知能力が衰えた上に耳にする話のうちいくつかが聞こえなかったりするのだからまさしく然もありなんと納得してしまう状況にあります。これは自分だけの問題ではなくて同年代の周り皆に共通しているように感じます。今にして思えば沈思黙考型だったはずの人間を誰がここまで軽薄短小で理解力の乏しい人間に変えてしまったのかと言えば多分その元凶はパソコンだろうとワタシは疑っております。昔はパソコンのソフトはほぼ全部アプリをダウンロードするような形ではなくメーカーからCDを購入して自分でインストールするものでした。その際に必ず初めに出て来るのが「利用規約」みたいな文章で、それに同意しないと使えませんから必ず「同意する」という項目にチェックを入れます。しかし1つや2つならいざ知らず毎日のようにいくつもソフトをインストールする人間には煩わしくてそんなのをいちいち全て熟読して同意する人なんて滅多におりません。知らず知らずのうちに文章を走り読みして内容を十分把握しないまま理解した気になるという習性が身に付いてしまいました。何か分からないところがあれば分厚くて重い書籍を引っ張り出して隅々まで読んだ上で自分のものとして受け止めるという動作を繰り返していたはずが、中身も目に付いた上っ面部分だけしか分からぬまま何でも同意してしまうのだからそりゃあ店主でなくとも軽薄になっちゃいますよ。それにいくら慎重に規約を精読したところで(携帯など特にそうですが)規約を作った会社が自己都合でどんどん勝手に「改訂」してしまい当初の想定とはまるで異なるものにしてしまうのだからこれって意味あるのでしょうか?最近は世の中サブスクばやりで、一度登録させてしまえばずっといつまでも企業は収入を得られてトータルで巨額の契約を簡単に獲得することができます。ここでも庶民は置いてきぼりのようです。論語の一節に「民は由らしむべし、知らしむべからず」というのがあって、庶民は政府に従わせることはできてもその政策を理解させることは難しいみたいな意味だったと思うのですが、これを日本の江戸時代には庶民に政策を教える必要はない、どうせ理解できないのだからと解釈したと言われております。今の日本のトップはいろんな意味で物事を勝手に曲げて解釈することが特技のようで、規約を走り読みすることに長けた我々庶民は簡単にコロッと欺されてしまうのです。10を聞いて1を知る人はまさにいいカモであります(全然良くないんですけど)。