敗者復活戦のない世の中には、閉塞感があり、絶望するのが日本で自殺が多い、一因になっていると思います。
 

それだけでなく、敗者復活戦のない世の中は、誰かを蹴落とすのに都合が良いと思います。

 

ネットで些細な事で炎上するのも、気のせいか?計画性を感じる事も。

 

昔2ちゃんねるでは、公然と「工作員がいる。」と、ささやかれました。時給や勤務時間とされる物まで見た事があります。今も工作員は、各SNSにいるはずですが、表に出なくなりました。   

 

炎上させれば、いつでも誰でも蹴落とせます。誰も何も言えない世の中を、助長させていると思います。ネットには自由な世界が、広がっているイメージがありますが、工作員による作られた世論も、多いのでは?敗者復活戦の無い世の中は、被害者のトラブルや防犯説が、有効に働く下地に、なっていると思います。
 

偶然に見えるトラブルは、一部の勝者が勝ち続け、格差社会が固定化されるのに役立っているように感じます。

 

昔の被害者ブログに載っていた、現実的なトラブルは、時々、世間にあるような気がします。対岸の火事と思っている市民も、紙一重で、一生を棒に振る危険性を、はらんでいるのかも知れません。

 

うちのトラブルが人為的としたら、何度か大損害を与えた後、追い討ちを掛けなければ、すべて偶然で済んだと思います。転居費用300万円の損害より愛猫ノラが散歩に出て、どんな亡くなり方をしたのか気になります。

 

ノラを守る事は、私を守る事でした。ノラと幸せになれたなら、その後の私は、蹴落とされ、敗者になった現実を受け入れ、生きられたと思います。ミーも守れたような気がします。

 

うちの不幸になった家族の顔が浮かぶと、恨みを買っても、やはり書きますね。

 

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これを書いたのは、どんな人?

 

 

被害者さんや一般人が読むと、「不幸が続くと、世の中をそういう目で見る人もいる。」又は、自分は無関係だとスルーする記事。事情も知らず、「不幸になったのは、自分のせい。工作員はいない。」と、大声で否定するのは、勝ち続けている加害系の工作員だと思う。不幸が先で、結果として、訳ありになるパターンが多いのでは?母は、夫に裏切られても、まじめに働き、訳ありにならなかった。よほどよくできた被害者でないと、無キズで過ごせないと思う。