このブログに巡りあってくださって
ありがとうございます。
書きたい欲が大きくなってブログを始め
ました。
ブログを書いて幸せになります2、3年前から人生の事や生き方を考える
事が増えたのには母の事が関係していると
思っています。
母は52歳で脳出血で倒れました。
退職し再雇用も決まっていて
今から第二の人生だと言っていた時です。
だんだんと身体が動かなくなり
散歩中に転倒
大腿骨を骨折し20年以上ねたきりの後
亡くなりました。
戦後父が急逝し苦労した思春期
長女だった母は家庭の犠牲になり進学を諦め
高校を出てから地元で就職しました
結婚はしないつもりだったようですが
周りのお膳立てで見合いし結婚
夫はダメンズ
お金にルーズで子育てより趣味が大事
帝王切開で2人の子を産みました
娘は年の差婚で母に心配をかけ
息子は独身
母の人生は苦労ばかり
良い事がなかったと思います。
私は母の人生をかわいそうだと思い
母のような人生を歩みたくないと
思うようになっていました。
私が母のようにならない
ためにいくつか意識して
いた事があります。
1つは仕事です
母が家庭の事情で諦めた進学
「女も手に職を持っていたら一人で
生きられる」と何度となく聞いて育ちました
医療系の国家資格を取り病院や役場などで
仕事をしていました。
次に意識したのは結婚です
母が苦労していたのを見ていたので
結婚願望はなかったのです。
もし結婚するとしても経済観念がしっかり
している人、父とは真逆の人がいいと
思っていました。
年の差婚した夫は
父とは真逆の人だと思います。
出産は自然分娩で
母と同じ事(帝王切開)になると
母と同じ人生を歩んで行きそうで
怖かったんだと思います。
ありがたいことに娘は自然分娩で出産
する事が出来ました。
母は胃ろうを作り熱発を繰り返しながら
生きて81歳で亡くなりました
施設に入ってからは施設介護の限界を見て
母が不憫だった私達は
毎日欠かさず交代で面会に行きました。
色々な事を犠牲にして介護を続けました。
それでも
父も私も弟も
母には生きていて欲しかった
家族仲を取り持っていたのは
母でした
母の人生を不幸だと思っていた私ですが
母は家族から愛されていたと気づきました。
母の一生
何よりも家族を優先し
家族を守り
家族を愛する
母が家族を守る事を自分の
幸せだと感じていたら?
寝たきりになっても家族の
ために生き続ける事が使命
と感じていたら?
時間がかかりましたが
母の人生は不幸でなく、使命を果たせた
よい人生だったのではないかと思えました。
こう思えてから
私は母の人生を肯定する事ができるように
なりました。
そして
母の人生と比較せずまた違った人生を
歩んでゆこうと思います。
お母さんありがとう
私は幸せに生きています
これからも見ていてください