他人がすごく気になる人。


消極的な気になり方。

 こんなことを言ったら笑われる。

 こんなことをしたら怒られる。

 こんな自分は馬鹿にされるだろう。

 どうして人より不幸なんだろう。

 あの人はお金持ちでいいなぁ。

 あの人は美人だから・・・・。


積極的な気になり方。

 どうしてあいつはあんなに愚図なの?

 もう見ていられない。イライラする。

 あの人の言うことは嘘ばっかり。

 あいつのせいでできなくなった。



なぜ、それほどまでに相手のことが気になるのか?

それは、自分が世界の中心だから。
自分の中にある「自分の物差し」で
社会や他人を見ているから。

自分とは大きく違った他者は排除
しようとする気持ちが芽生える?

それは自分の習慣となった考え方が基本となっている。



こんなことしたら・・・・・
あの人はどうして・・・・・
という気持ちは、

 やさしさ

 あたたかさ

 思いやり

 謙虚さ

 感謝の気持ち

 許しの気持ち

これらの気持ちを持つことで、他人のことは気にならなくなる・・・・そう思ってます。


あなたの心の中に愛情の壷があります。
生まれたばかりの時はその壷は空です。

その壷の上には2つの壷があります。
それはあなたを生んでくれた両親の壷です。

両親は自分たちの壷の愛をあなたの壷に注ぎます。
あなたが成長した頃には壷は一杯になっています。

そして、今度はあなたの子供の壷に愛を注ぎます。


しかし、生まれたときの空の壷に
愛が注がれなかったり、
「憎しみ」「怒り」「悲しみ」
が注がれて一杯になってしまったら、
あなたは、とても辛くて苦しい状態になるでしょう。

そんな辛くて苦しい状態では
他人が気になってしまうのです。


今度は自分自身の手で心の壷に
愛を一杯にしてあげましょう。

その前に「ネガティブ」な感情で一杯になった
タンクをまず空にすることが大切です。

すなわち、今まで抱えていたものを手放すのです。

今まで大切に思っていたものを
手放して愛を注がなければ、
せっかっく一生懸命注いでも
今までに溜まっていた物が一杯だから
壷の外へあふれて出てしまうだけです。


ネガティブな感情で一杯になった壷は
「壷の中につらい感情をため込んで抱えている」状態、
すなわち、これが人格解離状態と言えるでしょう。

心の中の壷は過去の体験でできた壷。
過去の自分はある意味、違う人格と言えるでしょう。

「壷の中につらい感情をため込んで抱えている」
これを空にするために、心の中で過去に戻り
辛い気持ちを過去にそおっと置いてきます。
そして人格の統合を行い、生まれたままの自分を取り戻します。

「過去に置いて来る」、このことが以前に書いた
「手放す」という意味の一つです。


そして、空になった壷に愛を一杯にします。
おそらく、今まで生きてきた中で感じ取ってきた
プラスの感情を身体が覚えているので、
すぐに壷を一杯にできるでしょう。




人の心の中にはたくさんの自分がいます。
たくさんの役割を持った自分がいます。


・父親のような厳格な自分

・母親のような優しい自分

・子供のような無邪気な自分

・子供のような従順な自分

・コンピューターのような出来事を
論理的に考える大人の自分


また、次のような自分も存在します。

・職業人としての自分

・お客さんとしての自分

・家庭人としての自分

・子供という役割を持った自分

・親という役割を持った自分

・地域の中での役割を持った自分


さらには、天使のような優しい心を持った自分や、
悪魔のような悪い心を持った自分。

状況や立場によって色々なパーソナリティーを
使い分けているわけです。

それはごく普通のことですよね。
誰もが時と場所に応じて、どのように
振舞うかを選んでいるでしょう。



また、自分では気づかずに心の中に違う人格を
作り上げている場合がたくさんあります。


幼少期に強いストレスを受けると
それを回避するために、自分とは
違う人格を作り上げるのことがあります。

本当の自分はちょっと脇に引っ込んで、
違う人格に辛い体験を肩代わりしてもらうのです。

そんなことが幼少期に行われるとそれ以降、
ストレスを感じるたびに自分とは違う人格を
生み出すようになることがあります。

そうすると、辛い体験をした時の恐怖や不安な
感情が消化されずに、その人格が持ったまま
心の中に居座るような形をとるのです。

本来ならば時間とともに感情が薄らいで
いくものなのですが、違う人格が持った感情は
いつまでも心の中に滞っているのです。

そして辛い感情をどんどん蓄積して
今の自分を支配されてしまいます。

それらは過去のトラウマと言えるでしょう。


これは多重人格のような、まったく違った人格が
表出するのではなく、その人格が持っている過去の
感情だけが現在の自分に伝わってくるのです。

記憶や考え方などはなんら変化しません。


これらも一種の人格解離と言えるのです。


解離した人格を一つにまとめることで
本来の自分を取り戻します。

今までにいろんな辛い体験をされている人。
うつと感じている人。
不安障害と診断された人。
パニック障害を持っている人。


過去の体験がトラウマになっていると感じているのなら
それは、心の中にたくさんの「その時のあなた」が
たくさん存在するのです。


そのみんなを一つにまとめて辛い過去を清算しましょう。






最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


6月の新聞記事(地方紙)ですが
(ちょっと古い話しでm(__)m)
『先人たちの名語録』に、
渋沢栄一氏の言葉がありました。

「クヨクヨ」することについて
書かれていた記事です。

実は渋沢栄一氏というお名前は
はじめて知りました。


渋沢栄一氏は日本資本主義の先駆者
というお方だそうですので、気になり
渋沢栄一氏氏の「名言」を、
下記サイトよりを抜粋しました。

【渋沢栄一の『論語と算盤』を今、考える】より。
http://blog.livedoor.jp/shibusawaken/archives/21064050.html


『くよくよと暮らす所に案外大なる徳がある。』


『「クヨクヨ」はすなわち種々なる
  不安、不満足等を意味するものである。』


『この「クヨクヨ」の念ある限り、
 その人はどうにかして、
 その不安からまぬがれんとし、
 あるいは不足を補い、
 不幸を脱却せんとする努力を生ずるものである。』 


『その努力を伴う「クヨクヨ」であるならば、
 自然その人の発糞の動機ともなり、
 活動の源泉となるものである。』 



クヨクヨすることってマイナスのイメージですが、
まさしく、「ピンチはチャンス」ということなんでしょうね。


痛みがあるときは病気や怪我をしたと
身体が発信しているサインです。

悩みとは現状を何とかしようとしたい、
しなければならないという心のサインです。

メーカーやお店のクレームも、商品や
サービスの向上に一役買われています。

クヨクヨする心のクレームもあなたの成長に
一役買っているわけですね。



『くよくよと暮らす所に案外大なる徳がある。』


ただ、クヨクヨするだけではなく
そこから脱出するために
「どうしたらいいのだろう?」
と、知恵を絞らなければならないでしょうが。

今の状態を満足したいないのだから
きっと自分には何かはできる力がある。



もっとクヨクヨしてもいいのだ!!
もっと悩んでもいいのだ!?




我々は生まれたままの姿ではないのです。
あなたは生まれた時、本来の自分が
持っている自分色があるのです。
真っ白ということでもないのです。

しかし、年月が経つにつれて周囲から
様々な色で着色されます。

もちろん、自分らしさ(個性)を伸ばし、
もともと持っていた色が大きくなったり
くっきりしていくことももちろんあります。



交流分析では13の禁止令があるとされており、
5つの拮抗禁止令というものがあります。

禁止令は「~するな」と表現されますが、
拮抗禁止令は「~しろ」といった命令形で表現されます。


子供時代に親や周囲の大人たちから
12の禁止令によっていろんなことを否定されます。

その否定された自分を他者に認めれたいがために、
5つの拮抗禁止令を守っている限り存在を許されて
いると思い込むのです。

自分に対して「~しろ」と言い聞かせて、
努力し続けることが自分自身の存在を
自ら肯定しているのです。

禁止令

1・ 何々するな
2・ 存在するな
3・ 成長するな
4・ 子供であるな
5・ 成功するな
6・ 男(女)であるな
7・ 健康であるな
8・ 所属するな
9・ 重要であるな
10・愛するな・信用するな
11・考えるな
10・感じるな

拮抗禁止令

1・完全であれ
2・他人を喜ばせろ
3・一生懸命やれ
4・強くあれ
5・急げ


自分に対して上記の禁止令を忠実に守り
拮抗禁止令のような言葉を無意識のうちに
自分に掛けていませんか?

禁止令や拮抗禁止令はあなたが持っている信念の一部です。

その信念、その言葉の内容は真実でしょうか?
自分にとって都合がいいでしょうか?
不自由を感じていないでしょか?

自分を苦しいと感じさせる信念は非合理的です。

合理的信念は、『自分の人生の役に立って、
意欲的な気分・行動力を強めてくれるもの』
としての特徴を持っています。


社会の環境や人間関係に過剰に適応している人、
傍目には場に馴染んでいるようには見えますが、
過度なストレスを感じて問題を抱え込んでいる
ことが多いでしょう。


非合理な信念を持っている人は、
自分の人生を豊かにするために
合理的信念を身につけるんだ、
という意識をまずは持ちたいですね。

1・完全であれ   →「ありのままでいいですよ」
2・他人を喜ばせろ→「自分を大切にしていいのですよ」
3・一生懸命やれ →「それをしさえすれば、楽しんでいいのですよ」
4・強くあれ    →「自由に感情を表に出してもいいのですよ」
5・急げ      →「じっくりやっていいのですよ」

というように、自分に許しを与えてみましょう。


ただ、今まで忠実に守ってきた信念は自分自身を
守るための「護身術」だったのです。

また、本来、信念にも良い悪いの区別は無いですから、
切り捨てるような扱いも不要かもしれません。

非合理な信念も違った側面から見ると、
すなわち、その信念をどのように捉え直せば
合理的な側面が見えるのだろうか、というように
考えてみるのもいいでしょう。






幸せってなんだろう?
って、考えると、

『しあわせって 何だっけ 何だっけ・・・・』

って、口ずさんでしまいそう。


ほんと、何でしょう?
というか、どういう状態のことなのでしょう?


欲しいモノ・お金が手に入ること


目標・夢がかなうこと


自由な生活を送ること


健康であること


うーん、どれも手に入ったら
幸せと感じそうですね。


『多くの人は何かを手に入れる』ことが、
幸せにつながると考えていると思います。



本当にそうだろうか?



うまく説明は出来ないのですが、
なんとなく、自分の何かを「手放すこと」で
幸せを感じることができるのではないかと思います。

そんな感覚ってないでしょうか?


では、その手放すものとは何でしょうか?


それは、人それぞれでしょう。


何の根拠もなく、説明も出来ませんが、
「何かを手放す」と幸せになれると思います。



なんとな~く、そう思います。