本日3つ目の記事となります。
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霊的存在。
それは神や精霊や先祖の霊や自然界にあるものたち全て。
肉体を持たず、意識体としてそれらは存在しています。
それらは大きくある世界の意識の断片の一つであり、
世界の意識は、ありとあらゆる意識で作られた多色の世界であります。
ですが彼らは、肉体を持ちません。
肉体のない意識は境界を保つことができず、
隣り合う意識とどんどん同化してしまいます。
隣の色と次第に混ざり合い、それが進むと、
いろんな色だったものがやがて一つの色でしかなくなってしまいます。
それはそれで良いかもしれませんが、
世界の意識は色んな色を求めます。
混じり合いが進むのと同じ分だけ、
新たな色を作ることをします。
それが人間や動物など、意識をのせた肉体を持つものの役割であります。
混ざり合い単色となってしまった意識が切り離され、人間の肉体にそれはうつされます。
このとき、意識には感情の反射が組み込まれます。
赤子としてあるその単色の意識はまず、
その肉体由来の感情の反射が起こります。
暑い、寒い、ひもじい、眠い、
まだ言語化できない肉体の反応が、感情として反射し、この世界に発露します。
感情の反射そのものと肉体の生命は呼応し、
それは脳にデータとして蓄積されます。
感情の反射は、一瞬一瞬、
意識のきらめきのようにありますが、
脳に蓄積、固定されることで、
単純に生まれては消え生まれては消える刹那的なものではなく、
積み重ねられ展開する発展的なものとして、複数の色彩を同時に抱えることが可能となります。
そしてそれは、その人間の個性として、
意識の輪郭となっていきます。
たとえば、白の外の世界に、自分も白としてあったなら、そこにはなんの反射も生まれません。
単色の意識が、同じ世界の意識のなかでなく、
肉体を経由した外の世界に触れるたびに、感情の反射は激しく起こります。
脳は激しくスパークし始めます。
そしてそれは常にデータとして肉体に固定され、
失うことはありません。
環境や選択の結果を受け、あらゆる分岐がそのもの色となり、その人それぞれの輪郭となっていき、
肉体を失うその時まで、
感情の反射は繰り返され、蓄積、発展を繰り返し、
多種多様な色となって、世界の意識に戻っていきます。
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霊的存在と比べて、人間が優れているところは、
このポイントであります。
肉体に意識のデータを固定できること。
それにより、意識が溶け無くなることなく、
しっかりと保つことができるということ。
これが人間、肉体を持つものの優れた点となります。
では、祈りとは、ここにどう関わってくるのでしょうか。
霊的存在、神や精霊や先祖、自然系など、
肉体を持たずにある役割を持つものは、
その役割を全うするため、
肉体を持たないまま、自分の意識そのままをキープしなくてはなりません。
そこで、人間との関わりを持ちます。
人間の感情の反射、そのきらめき。
自分の持つ色とにたものを持つ人間に、
精霊は引き寄せられ、その感情の反射のきらめきを摂取します。
それにより、精霊は自分のかたちを維持することができ、それは精霊にとって、生命維持のようにあります。
感情の反射を精霊の命として受け取った精霊は、
その人間の感情の反射に、愛を注いでくれます。
人間は、ポジティブネガティブ関係なく、
ただ感情の反射を精霊に開示し、むき出しにしてるだけでありますが、
そこに精霊は集まり、それをもしゃもしゃと食べ元気になり、はっきりとしたかたちを得、その愛もはっきりと人間のその感情に注がれます。
人間が神に対して祈る時、
懺悔をしたり、その感情をありのまま神に渡すことが、宗教的に重要なものとしてあります。
そしてそこには、神からの愛が注がれることで、
それが許されたとしてみなされます。
宗教的にそこに文脈が加わり、人間の都合の良いようになってますが、
神は許しているわけでなく、愛を注いでいるだけであります。
感情の反射は、ありのままのその人の意識の存在のかたちであります。
それが豊かであればあるほど、神は輪郭をはっきりと維持でき、愛の輪郭もはっきりとします。
ここで、あちら側からのメッセージを受け取りました。
この意味が、わかるでしょうか。
感情にはもちろん、ネガティブなものも含まれます。
それを消さないまま抱えてしまう人間の役割を
彼らはきらめきとともに、その苦労も理解しています。
これはあちらのものたちの慈悲です。
苦しみもろとも色彩として抱えることをやめないでいる、
それを分け与えてくれる人間に、
精霊は最大の愛を注いでくれます。
記憶は残したまま、痛みだけを取り除いてくれるのです。
これが神の慈悲であり、愛であり、
多くの人間が祈ることの最大の理由であります。
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自分の近くにある、霊的存在たちに祈ること。
それが彼らの存在に命を与えます。
全ての感情を、彼らに開示すること。
全ての、感情です。
日本人は、霊的存在に対して、感情を隠すことを本筋として生きてきました。
なので、感情の開示は、簡単にできることではありません。
必ず、ブロックなり抵抗なり、拒否が勝ります。
なので、愛の位置を知るものが、
感情の開示をナビゲートすることが、重要となります。
セルフで頭でしかできないものは、必ず抵抗が生まれるからであります。
宗教の祈りとして、これをやることは簡単ですが、
今回でその本質が何なのかがわかったことで、
祈りのスタイルをとらなくても、
同じことは簡単にできます。
常時感情の開示をあちらに開きっぱなしにすればいいのです。
祈りというかたちをとらなくても、
開示が常に繋がっているなら、日常そのもの全てがあちらへの祈りとして動きます。
感情の反射は常に、霊的存在に連鎖されていきます。
私がワークで提供してるのは、それです。
常にあちらと感情の反射が共有されてる状態を作ります。
そして、どの霊的存在と繋がるか、開示連鎖を行うかというかもポイントとなります。
抵抗や拒否があるからこそ、
ワークでそことの連鎖を太く作ることは、
愛の太さを新たに作ることとなります。
頭の愛から、感情の泉に愛が注がれるように。
そして、霊的存在の愛の慈悲が受け取れるように。
私たちの祈りが、ここからはじまります。



