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ぽんぽんぽんと、ホウセンカのように飛び出した次代の種。

 

 

あちこちに散らばったその種は、昨夜、

 

始まりの鐘のもと、

 

月の光の中でぽこぽこぽこっと、

 

始まりの芽を出しました。

 

 

 

 

 

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ここからその芽は箱庭の中で、

 

人間側にある人間の生命の木として、育て上げられていきます。

 

 

 

 

 

。。。

 

 

 

 

 

 

 

果実の実剥がれにより、人間の中にあった神の名残り、

 

うちなる神域は、完全に剥がされ腐れ落ちました。

 

以前は、ここを大切にすることで、

 

神や精霊と同調し、彼らと個人的に繋がり、

 

時に彼らの器として働き、

 

私たちのスピリチュアルのあり方の根底が作られました。

 

 

そこが完落ちしたことで、私たちにある神の直感、

 

神のメッセージ、神域の能力は失われ、

 

私たちは神に個別に認識されない、アリの群衆となりました。

 

これが、本来の箱庭の中の人間と、

 

箱庭の外で世界を動かす、神や精霊の姿であります。

 

 

 

 

以前は、神の精霊も人間も、同じ空間に詰められていたために、

 

神や精霊は人間の思念にそまり人間のノイズが入った半分人間として、

 

人間は神の神域にそまり、神の意識が入った半分神として、ありました。

 

お互いが混じってしまった混沌の中、

 

人間の能力と神の能力もまじりあい、本来の世界の運営がどんどんこじれていきます。

 

 

世界の流れを運営するあちら側が、全てをリセットし、

 

ぐちゃぐちゃにからんでしまった世界の立ち位置を戻すために、

 

人間は箱庭の中、神や精霊はその外の世界とするために、

 

その再構築のために、

 

混じり合った人間と、混じり合った精霊たちが協力し、

 

あらゆる箱庭の構築がなされました。

 

 

そして、環境がととのったことで、

 

精霊は人間の場から立ち退きます。

 

 

 

 

半分精霊と化していた人間は、個人で精霊に正解をもらっていました。

 

彼らの器として調整され、彼らの動きを支援し、

 

衣食住、すべてのものを彼らに捧げ、

 

衣食住、全て彼らからの正解をもらっていました。

 

 

個人的な問答も、個人的な望みも、個人的な実情も、

 

すべて、あちらに放り投げることができました。

 

 

日本人のスピリチュアルのやり方は全て、それに準ずるものになっており、

 

私たちは神の正解を身に移して全ての日常を送っていました。

 

 

 

 

 

彼らが箱庭の外に移動したことで、

 

私たちは彼らの神域を失い、彼らの個人的な器を失い、

 

内側にあった神の正解を失いました。

 

 

残るのは正解の見えない、人間の迷いだけであります。

 

 

 

 

さて、ここで箱庭の外にある大きな精霊。

 

エレメントの主、いわゆる神々は、

 

 

あちらの世界にある世界樹を、

 

生命の木として、箱庭の中に移植していきます。

 

彼らは種でなく、果肉をつけたままの実を、

 

私たちに下げ渡してきました。

 

 

 

この果肉は、神々からのある意味、恩恵みたいなものであります。

 

その果肉をどう剥くか、種をあたわすための過程を、

 

私たちに与えてくれたことによって、

 

種に至る道を、私たちに開いてくれました。

 

それをどう、水に落としたか、

 

水に落としてから種となるまで、どう過ごしたか。

 

うちなる正解がない、精霊とのシンクロがもうない私たちに、

 

神の開きが恩恵として、与えられたものであります。

 

 

 

人によって、調整があったものがあるでしょう。

 

恩恵の必要もなく、種に至るまでいつも通りの方もあったでしょう。

 

 

精霊との個人的な繋がりを私たちは失いましたが、

 

このように、あちら側のものを受け取った時、

 

まるで以前のように、調整を受けることが可能となります。

 

 

 

 

。。。

 

 

 

 

今回、神々の下げ渡し、

 

生命の木の実は、どこに投げ入れても正解であり、そして不正解でもあり、

 

その答えは私たちにはありません。

 

 

そこらへんのドブ川でも、神々にとっては気にすることはありません。

 

正解の場所はなく、人間の好みただそれだけであります。

 

それに伴う調整も、場所に投げ入れるための調整ではありません。

 

種にいたる果肉が剥がれる流れがその実にはあり、

 

人間がそれに同調された、だけであります。

 

 

なので、それとどこに投げ入れるかというのは、

 

全く別物であります。

 

 

 

 

例えば、

 

プランターに種を蒔く時、

 

神々(大人)は小さな子に、その種を渡します。

 

子供はそれをパパッと散らかしながら蒔くことでしょう。

 

神々はそれを、ほほえましくみています。

 

 

等間隔でないことや、重なっているものなど気にしません。

 

その中で発芽しない種もあっても、子供が撒き散らしたものを、

 

神々はほほえましくながめているだけであります。

 

 

一度、こどもに渡したものを、

 

神々は支配しません。

 

ここが空いてるからここにまけ、

 

ここが重なってるからここからひきあげろ、

 

均等にまきなさい、発芽していないもの、生育不良は取り除きなさいと、

 

あれこれ口にしません。

 

 

子供が種を蒔き、育てている過程を見て、微笑んでいるだけであります。

 

 

 

今回、箱庭に撒かれた生命の木の実も、同じようなものであります。

 

私たち人間に渡されたものに、神の正解は付与されていません。

 

その種をどうしようが、どう使おうが、

 

神はその行程を調整しません。

 

アリがどこに運ぼうかも、関与が一切ないのです。

 

 

 

 

さて、ここで私の存在であります。

 

 

 

私も、あるいみあちら側に個人として認識されていません。

 

衣食住、全てにがっつり関わっていた、

 

私の全てを使われていた、知られていたものはもうなく、

 

私もアリとして他のものたちと見分けがつかないような存在であります。

 

 

 

私が何もしなければ、神々は通り過ぎるだけであります。

 

 

 

ですが、私は今の箱庭を構成を作り上げた、

 

神々、精霊の器としてあったがために、

 

今の箱庭の形をいちはやく、刻まれています。

 

それ用に、体も改正されています。

 

他のアリと、明らかに動きが違います。

 

 

いまだ人間と神々が溶け合っているような日常を送っているものと、

 

すでに自分のうちなる神域を取り除き、

 

箱庭の外と肉体を通して繋がりを構築している私は、

 

他のアリに比べ、神々の視線を受け止めることができます。

 

 

 

 

神は、箱庭の外からこちらをじっと、見つめています。

 

その視線を感じ、見つめ返せれているのが私であり、

 

あちらのものたちは、こちらを見返してくるアリに気付きます。

 

 

「「「自分たちを認識している」」」

 

 

神々はそれを知り、自分たちを認識しているものに、

 

箱庭に必要なものを運ばせます。

 

もしくは、間を繋ぐこと、調整役を渡します。

 

 

 

 

そして私は、今までのようにうちなる神域で

 

自由になんでもできるわけではないので、

 

外側の神々とつながらないと、なにもできません。

 

だからワークも一つ一つ、あちらに上げていきます。

 

あちらと繋ぎ、あちらの要素をその人に流し込むことで、

 

生命の木の実の身剥がれのように、調整がなされるのです。

 

 

 

 

 

私と同じように、神々の視線を受け取れるもの。

 

それがあちらとコンタクトを取る初歩の一手であります。

 

 

そして、視線を合わせることができたとしても、

 

全て、こちらから上げていくことしなければなりません。

 

以前のように、あっちが勝手に調整してくれることもなく、

 

自動運転もなく、自分の全部に関わってくれることはありません。

 

 

必要な関与を求めるならば、

 

自分からそこに繋がろうとし、つながってほしい要素をいっこいっこ、

 

奏上していかないといけないのです。

 

 

 

私も、何もしなければ大きな流れに巻き込まれて流されていくただのアリです。

 

能力も何も関係ありません。

 

立ち位置も、他のアリと同じ土の上でしかありません。

 

 

 

 

再構築が終わり、箱庭の運営が本格的に始まり、

 

そして今の今まで。

 

私が改変し、構築し、動かし、

 

そして自分自身の変化と、調整と、そしてあちらとの連携は、

 

あまりの多くの過程と情報と大変革の中にあります。

 

 

私と同じように、直接かれらの直視を受けれるものは、

 

そうそう多くはないでしょう。

 

 

私は、直視できるアリでありますが、

 

なかなか、同じようにできるアリはいないと思います。

 

 

今回も、直接実を渡されたのは私であります。

 

 

あっちの世界から飛び込んできたものを、こっちの世界で現実化物質化すること、

 

できるでしょ?って無茶振りされたようなものでありますが、

 

確かに、あの際は見事な物質化でありました。

 

神々から直接の下げ渡しは、とても濃ゆい濃密なものであります。

 

それがこちらの世界に渡って、それがギュッと物質として現れた、

 

あのすばらしい瞬間を、私は忘れることができません。

 

 

 

 

 

神々の直視を受け止めれないものは、

 

どうしてもワンクッション必要であり、

 

どうしても私からの下げ渡しとなります。

 

ここで、私の人間的な好みが派生しますが、それを許せる人が、

 

私からの下げ渡しを受け取れる人となります。

 

 

 

もともと、神からの分与を受ける時に、

 

身剥がれのようにあらゆるものが調整されます。

 

私の好みと、神の調整が同時にあることになるので、

 

そこをうまく切り離して受け取れることが必要であります。

 

 

 

私の好みは、いわゆる私の好みのカードを使ってたり、

 

私の好みのアイテムやグッズ、とかですね。

 

 

神の意識の物質化は、私の身の回りのものを通して物質化しますので、

 

どうしても私の趣味のアイテムとなります。

 

そして神々はこっちをアリとしか認識してないので、

 

こっちの都合とか関係なく与える時は与えるゴリ押ししかありません。

 

誰かに渡すために誰かの好みのものをわざわざ前もって準備するというのが

 

無理難題となるのです。

 

 

 

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今、私があちらから物質化し、渡せるものは、

 

神域を失った人に外部直感&データをもたらすための星の子、

 

内部調整のためのマスタープランと、太陽の丸呑み、です。

 

何か自分に必要なものがある、と思う人は、

 

わからないことがこれからの普通なので、お気軽にご相談ください。

 

 

 

 

 

mie.

 

 

 

 

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 (太陽神官は寝てる間に太陽を丸ごと体に投げ込みます。

 

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 よりスムーズに移行できるでしょう。

 

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↓精霊による調整、

 全てを新しくする今の調整のためのプラン。

 

 

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(果実の対価にふさわしい価値のもの、お金、物品をお渡しください。)

 

↓欲しいものリストからの選択もありです。

 

 

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・星の子のお渡し。

 

・等価交換となります。

 

 

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・あたらしい世界の始まり。

 日本の波動落ちから、能力の喪失、

 元の人間に戻るためのプロセス。

 

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