太陽に、生命の育みの陽光、
そして水には、死にゆく流れが戻ったことで、
大地の完璧なる循環のとその流れが完成します。
大地は、生の発着と死の終着が刻まれています。
生と死の本体、そのコアは全て大地の中で行われており、
全ては地中から生まれ出て、
全ては地中にて死に戻ります。
生と死は、大地というエレメントから発するものとしてありますが、
そこから至るものとして、
大地から出てきた生を育てていくのが、太陽です。
太陽は生を増幅、可動させていく、動かす力を持っています。
そしてそこに至るものとして、
大地に戻るよう溶かし戻していくのが、水です。
水は死にむかうための生の縮小解体、停止の力を持っています。
生と死の中心はすべて大地のカラクリの中で行われ、
地上に出たものに生命力を与えるのが太陽としてあり、
地下に還るものに無機力を与えるのが水としてあります。
大地、そして太陽と水で、私たちの主な循環の輪が作られており、
この輪が完成したことで、
月がそこから、弾かれます。
。。。
月は、太陽の相対として、今までそこに刻まれていました。
男が太陽の力を手に入れて、まず行ったことは、
神として永遠の命を持つこと、
そのために死後の世界を作ることでありました。
大地に流れこむ水から、大地に死が溶け戻らないように、
水から死の流れを抜き取ります。
そしてあらゆる建築物をつくりあげ、
それを死後の世界として、空に刻みます。
死の新しい定義を、魂として肉体に刻み込み、
昼と夜を光と闇とし生と死として刻みます。
この時に、昼の太陽は光と生として男を育み、
夜の月が、闇と死として女の育みにあてがわれます。
月はこの刻みからずっとずっと、
太陽の光の反対にあるものとして扱われ、
闇と死の世界に置かれます。
本来、生と死は同じ大地の中にあります。
そこから、太陽と水によって、そこに至るまでの力があります。
太陽が生、そのものとなってしまったことで、
大地から生が切り離されたことで、
死も大地から切り離され、
そして太陽の相対として、月に死そのものが刻まれました。
本来、月は太陽の相対ではありません。
太陽の光を受けて輝くならば、それは小さな太陽のようなものであり、
相対ではなく、相似であります。
太陽と月は、陰陽には当てはまりません。
太陽が表なら、月が裏とはなりません。
太陽の光を受け、太陽の光で少量の輝きを放つ、
太陽の子供のようなものであります。
今まで、男が太陽を占有していたことで、
捻じ曲げて使っていたことで、その皺寄せと穴埋め、
太陽と男が受け付けないもの、闇と死を、
相対する全てが女と月に刻まれることとなりました。
太陽の子として、夜間のほのかな生命の育みをしていた月は、
その力を全て死に書き換えられ、
夜の生命力は失われます。
そして、太陽に対抗しうるものとして、
月は女によって、女の主原力としてさらにこねあげられ、
月は多くの編纂を重ねていきます。
今、本来の生死の循環が大地と太陽、水にもどされたことで、
月は太陽の相対の位置から弾かれました。
死は全て、水がその動きの主軸となっています。
この生死の循環の中に、
大地と太陽、水以外のエレメントももちろんあり、
それらはメインのサポート役として動いていますが、
もちろん月もその中に入っています。
それは太陽の小さな子としてあり、
夜間の生命の育みを促すものとして、その位置が定まります。
夜に呼吸をするもの、夜に生命を動かすもの、
闇の中でしか生きれないもの。
その全ての闇の中での生命の育みのために、
月は新しい位置で、生命力を動かします。
月は、女の手からすでに剥がされました。
闇の生命力としてあるただの惑星となりました。
もしそこに同期するならば、
そこには男も女もなく新しい天地の同期先としてあるだけであります。
月に焦がれ、月に夢見ていた女は、
綺麗に、終わりを迎えたこととなり、
私たちは生命あるざわめく夜の中で、
眠ることとなります。
。。。。
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・あたらしい世界の始まり。
日本の波動落ちから、能力の喪失、
元の人間に戻るためのプロセス。
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