天地の抱卵は、33までの間、
あらゆるものを孵すための、あたための期間となります。
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元日から、
人間から、あらゆる力が取り上げられている状態が、
今もこの時も続いています。
今まで、思念で思い通りの道筋を作っていた人間は、
すこしもそれが通らないことで、
焦り、憤り、怒り、
以前と同じ状況をつくろうと、
全てが実力行使の暴力のままに相手を従わせようとします。
儀式の効力を失った今、神聖な力を振るえなくなった今、
同じ穴にあった暴力や威圧でねじ伏せることに、
人間はなんの罪悪感もありません。
力で相手を圧するという意味合いでは、
神聖な力もただの暴力も、等しくそれがあるからです。
以前の力を持っていた人間は、その違いがわかりません。
本当の意味で力を失ったこと、
人間がそれを認め諦めるまで、
この暴力でのすり替えはずっと続いていきます。
そして集合意識を集めることも、いまだ私たちは諦めていません。
共感、共有、その中のリーダーになることの、
あらゆる作為と演出は、止まることはありません。
ピラミッドの頂点に立つことにしがみつき、
やってくるデータを独り占めをし、
そしてそれを自分のものとして書き換えて、
自分の物語として意味づけし、書き換えて、
てっぺんからその物語のビラを振りまき、多くの人を集めようとします。
この、トップによる意味の書き換え、上書き、物語の付与は、
人間が力の主軸を持っていた時の、儀式のスタイルでありました。
人間が意味をつけることに、意味があり、
そこに力が集まり力の根源として使えるからであります。
だからこそ、多くの人間たちは、
やってくるほのかな断片をかき集めて、
練り上げられた意味をつけ、物語を組み上げて、
そこに多大なる恩恵と神秘を含ませました。
この力を集めるシステムは、私たちの根っこに強く染み付いており、
自分なりの意味をつけることを神聖な儀式として、誤認していきます。
天地に力が戻った今、
本当の意味は、天地しか知りません。
人間にとって、それは計り知れないものとしてあり、
探ることすらできません。
そしてそこからやってくる断片は、その人個人の神秘としてあり、
それはその人にしかわからないものとしてあります。
それは天地とその人間の関係性でしかありません。
ですがここで、人間は勘違いをします。
以前と同じように、断片を都合よくつなぎ合わせ、
意味をつけようとします。
物語を作り上げ、以前と同じように集合の核にしようとします。
ですが人間には、もう自分を主にするための力がありません。
その意味づけは、なんの意味もないこととなります。
意味のない意味づけは、ただの空虚となり、
それは無として打ち消し合います。
そしてそこには、天地が示した本来の断片しか残らないこととなります。
残った断片は、その人の天地との神秘のものとしてしか、
残存しません。
だれもそこに、集うことはできません。
集合意識の解体は、どんどん進んでいきます。
こうして、人間はひとつひとつ、
力をとりあげられた結果を、身に染みて体感していくこととなります。
以前と同じ効用、以前と同じ結果、以前と同じ思考やスタイルを、
そのままに施行するならば、
私たちはただの暴徒と、作為の人集め詐欺の
ロクでもない人間となってしまいます。
私たちはこうして、天地に力が移行した本当のところを、
ひとつひとつ実感していくしかありません。
自分が主導、主軸のものが通らないということを、素直に認め、
天地に、何度も何度も敗北することで、
私たちは自分の人間としてのおごり昂っていた部分を、
悔い改めることができます。
そしてそこが改善されることで、
天地とのあゆみよりが派生し、
天地との織りあいが徐々に徐々に、ゆっくりと進んでいきます。
そして33、ヒナが日本に顕現する時。
私たちの色彩化が、一気に加速します。
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・あたらしい世界の始まり。
日本の波動落ちから、能力の喪失、
元の人間に戻るためのプロセス。
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