222へと、日付が切り替わってからすぐの時、
私は水中で卵を産み出しました。
この間際に、一気に多くのものが押し寄せます。
私は、日本の国という大地と霊体を通して肉体が同期されており、
そこで国の鳥を産み出すという、流れにありますが、
人間としての出産と、鳥の産卵とが重なり、
成り立ちが違うものが同期していたために、混乱が生じていました。
頭では、鳥の産卵の系譜とわかっていますが、
人間の肉体がそれをジャミングしてきます。
33にヒナが孵ることはわかっていたのに、
私は今この時まで、
自分が卵を産卵するとは思ってもみませんでした。
かといって、そこに嫌悪感はありません。
自分の肉体が違う系譜のものと同期していることは、
とても不思議な感覚です。
ですが私はあくまで、人間の肉体の側であります。
卵を産卵する形ではありますが、
あくまで私は人間の出産としてそれを感じています。
自分の肉体側の感覚は常に守られキープされていることで、
人外の動きと同期していても、そこに混乱はあれど、
激しい拒絶、拒否反応はありません。
私はあくまで、人間の出産としてそれを行いました。
そして、この時、卵を産卵するとなった時に、
織りあってなかったものがどんどんと織りなされることとなり、
その情報が私の中で溢れかえります。
羊水は卵の中に満たされるものであり、
それが形成される母の体内にある時は、
その場は京都の地下盆水となっていました。
産卵した後、この卵はオモテにだされ外にあるある水に移り、
琵琶湖の巣にそれが移ります。
そしてこの卵には、産卵の直前に火が乗りました。
もともと、この極彩鳥は、
火の鳥、不死鳥、フェニックス、鳳凰の系譜であります。
エレメントとしての火の栄養が、この卵の主となります。
ここで、イザナミの黄泉送りが再びやってきます。
イザナミは出産の際に、産んだ我が子火の神によって、
火傷を負い黄泉に送られることとなりました。
ですがこれは、太陽の男による女神の闇落としとしてあります。
太陽の男は、火のエレメントの主導権を奪い、
それを女の出産に合わせて、作為の火を放ちます。
これは女を闇落ちさせるために、黄泉に送るために放つ火であります。
女としてとても大切にしているものを、壊すこと、
出産が火あぶりの苦しみにすり替えられ、
火傷による見た目の崩壊、その後の子供との引き剥がしなど、
絶望と苦しみ、死に値する苦しみを与えることで、
女は黄泉へといざなわれます。
これにより、イザナギは光の世界を独り占めしました。
太陽の男はたびたび、黄泉を訪れ女をそこから救い出し、
光を与えますが、基本、光の世界は男だけのものであります。
いらなくなると簡単に男は女を突き放し、黄泉に追い出します。
これがイザナギ、太陽の男が刻んだ、作為の火であり、
今儀式として行われている火の儀式は全て、
女を黄泉に閉じ込めるための火であり、
女の光を汚すための火であり、
女をおとしめることで独り占めするための、
健康や栄華や豊穣を男が独り占めするための、
儀式の火であります。
この儀式の火が、
産卵の直前に天地返しとなりました。
本来の、天地が使う火としてのエレメントとしての役割に戻されました。
卵に火が戻り、そしてそれは女をおとしめるものではありません。
私はその卵を、水の中で生みます。
今まで出産の前後にわたる、その痛み苦しみを、
今まで男は間接的に直接的に社会的に、女に与えてきました。
妊娠出産育児に、まったくの余裕の余地はどこにもなく、
つねに女が苦労と命をかけて行うものとしてありました。
女を闇落ちさせる火がなくなったことで、
妊娠出産育児を抑圧する火がなくなったことで、
私はとても簡単に、出産という産卵をすることができました。
水の中でそれはつるんと滑り落ちるように産まれ、
火によるダメージは全く受けることもありません。
エレメントの火は純粋に、卵の栄養として属しているからであります。
男の作為は、もうどこにもありません。
イザナミの亡くなった産田神社の火は消え、普通の産屋に戻り、
そして近隣にあった男の火祭りにはケチがつきました。
222の産卵は、完璧な型となりました。
そしてここから、33に向けての抱卵が始まります。
ここからさらに、卵は天地に抱かれます。
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・あたらしい世界の始まり。
日本の波動落ちから、能力の喪失、
元の人間に戻るためのプロセス。
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