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気になるニュースチェックします。

毎日気になる最新のニュースをチェツクします。

GWいかがお過ごしでしょうか、、、、

 

今回はちよっと夏の参院選を控えているので、そのことについて

先に見てみたいと思います。

昨年の衆院選で、国民民主やれいわが大きく票を延ばしその後

減税はやろうと思えばできるんだ。

財務省を解体しなければ、、、、などと国民の意識が大きく変わりました。

 

このまま政権交代してくれたら、、、、、

そんな思いが国民の心の中に芽生えてきたのではないでしょうか。

政権交代といえば、2009年自民党から民主党に政権交代を果たしました。

 

あの時の国民の期待はすごいものでした。

ところがその民主党政権は、アッという間にまたもとの自民党に戻ってしまった。

やっぱり自民党じゃなきゃダメなんだ、、、、という思いが

国民の胸によぎったことでしょう。

 

だから今度も、もしも政権交代しても、またすぐ自民党に帰り咲く、何も変わらない。

そう考えてしまうのも当然かもしれません。

あの時の民主党政権は、鳩山、菅、野田、、、、と続き崩壊しました。

 

 

★★★悪夢の政権交代

 

 

★財務省に愛された男たち

 

 夏の参院選で、政権交代とまではいかなくても、反自公勢力が相当の

 力をつけてくるとの予想です。

ほとんどの野党は消費税減税を主張しています。

 

維新の会   8%引き下げ

国民民主   一時期5%引き下げ

れいわ    消費税完全廃止

共産     消費税廃止を目指して当面5%引き下げ

 

 

世の中、減税への期待で満ちています。

国民民主やれいわが、昨年の衆院選で大きく票をのばしたのはその証拠

ところが立憲だけは、慎重な態度を続けています。

 

民主党政権を崩壊させた男たちは、立憲民主党の中にいます。

菅直人、野田佳彦、枝野幸男、、、、、は財務省に愛された男たち。

消費税増税を死守して、、、、、、

 

だから今度の選挙でも消費税減税は、、、、、どうしても言えない。

 

立憲民主党の中枢に財務省に愛された男たちがいる。

立憲民主党の中枢に消費税増税を死守する男たちがいる。

減税などとんでもない、、、、

国民の敵、財務省と仲良しこよしの立憲民主党

いずれ玉砕するしかない、、、、

 

どうして民主党が崩壊したかというと、政権とったはいいが

右も左もわからない、、、、、

政治家などといっても、ほとんどが勉強などしていない。

 

国会質問は省庁の役人が書いたペーパーを読み上げるだけ、、、、

だから役人のい言いなりで、何が何だかさっぱりわからない。

つまり数年で選挙の洗礼を受けるので、まともに勉強なんかしない。

 

政権とって最初は、政治主導の予算案を作ると意気込んでいたが

霞が関の壁にぶち当たり、立ち往生、、、、

そこに手を差し伸べてきたのが、財務省主計局長の勝栄二郎

菅直人は、胸をなでおろしお礼、、、、

そして急速に財務省の掌中に取り込まれていく。

 

菅の後は野田佳彦、野田は財務省副大臣、財務相を経てすっかり

財務省色に染まった、、、、、

そして消費税を10%に引き上げた。

財務省が大好きな政治家は、緊縮と増税をしてくれる政治家。

だから野田は優等生。

 

次は枝野幸男、リベラルなんていう衣をまといながら財務省と

価値観を共有している、国民の敵

 

財務省が大好きなこの3人が立憲の中枢にいる限り、立憲民主党は

国民の味方にはならない。

したがって今度の選挙で下野してもらうしかない。

 

★民主党崩壊の軌跡

 

民主党政権が誕生したころ、政界では民主党と自民党の二大政党が

根付くかに思われた。

しかし、そうはならずまた元の自民党政権にアッという間に戻ってしまった。

 

何のための政権交代だったのか。

2009年の総選挙では、早くから民主党への政権交代が予想されていました。

当時民主党代表を務めていたのが小沢一郎

 

そのまま選挙が終われば、民主党政権で初の首相になるはずだった小沢一郎。

ところが新聞、テレビで小沢氏を叩きまくった。

それは既得権の破壊を掲げる小沢氏は、大手メディアにとっては絶対

許せない存在だったからです。

 

こういう小沢氏が次の首相になったら、大手メディアにとっては大問題。

そこで検察と連携して、政治資金にまつわるスキャンダルを流し

政治的抹殺を図ったのです。

小沢氏への人物破壊を行った、、、、

 

それは成功した、、、、

小沢氏は総選挙前に、民主党代表の座を降りることになった。

彼の無罪が証明されるのは、ずっと後になってからです。

 

小沢氏が代表を退いた結果、民主党政権の首相には鳩山由紀夫がついた。

しかし、鳩山氏も小沢氏と同じく、大手メディアの餌食となって

短期間で首相を退くこととなる。

 

この鳩山氏の後に首相になったのが菅直人その次は野田佳彦と続く。

菅は民主党を分裂させた張本人

野田は財務省やアメリカの操り人形となって、民主党政権を崩壊させた。

これが民主党崩壊までの過程です。

 

 

 

首相就任が確実とされていた小沢氏は、秘書が逮捕されたことで

民主党代表を辞任せざるを得なくなった。

そして後継者に鳩山由紀夫を担ぎ出す。

 

そして鳩山、小沢体制で09年の総選挙を戦い、政権交代を果たします。

小沢氏は自ら民主党幹事長の座につきます。

その小沢氏は夏の総選挙前の2月、奈良県香芝市で次のような発言をしています。

「米国もこの時代、前線に部隊を置いておく意味はあまりない。

 軍事的戦略的に米国の極東におけるプレゼンスは、第七艦隊で十分だ」

 

つまり沖縄の在日米軍は不要だと明言したのです。

この発言を朝日、読売、毎日など各新聞は一斉に報じた。

この発言が決定打になり、アメリカは警戒し行動を起こす。

 

発言から一か月も経たない3月3日、小沢の資金管理団体,陸山会の

会計責任者で公設秘書の大久保隆規と、西松建設社長ほかが

政治資金規正法違反で逮捕される事件が起きた。

 

小沢の公設秘書が西松建設から4年間で3500万円の献金を受けたが

虚偽の記載をしたという容疑です。

第七艦隊発言後に起きたこの事件、しかし実際の献金は3年以上も前のこと。

 

この事件により小沢氏は民主党代表を辞任し、9月の総選挙で民主党を勝利させ

鳩山由紀夫政権を誕生させ小沢は自ら、幹事長に就任したのです。

そして小沢氏と鳩山氏は政権発足とともに、東アジア共同体構想を打ち出します。

 

対米従属から脱却し、成長著しい東アジア外交に軸足を移すことを

堂々と宣言したのです。

そして同年12月、民主党議員143名と一般参加者483名という大訪中団を引き連れて

中国の胡錦涛主席を訪問しました。

 

在日米軍基地削減と対中関係で、アメリカが怒らないはずはない。

その後、政治資金問題は異様な経過をたどる。

最終的に検察は、小沢氏を強制起訴にしている。

 

つまり検察は起訴できる決定的な証拠を全く、挙げられなかったにもかかわらず

無理やり起訴したのです。

証拠がなくて起訴って、何が何でも罪人に仕立て上げたってこと。

そこまでして、首相になられては困ることがあった。

 

小沢氏は検察、警察の取り調べの可視化を主張していた。

密室での取り調べが、可視化されれば冤罪もなくなる。

検察は99・9%なんていう馬鹿な話もなくなる。

 

この小沢事件と呼ばれ一連の事件は、ほぼ確実に首相になっていた政治家を

検察とマスコミが結託し、激しい攻撃を加え失脚させた事件です。

 

しかし民主党の政権交代を果たし、幹事長の座につきました。

この時点でアメリカは小沢氏の息の根を完全に止められなかったのです。

そのため検察とマスコミの力をフル動員して、無理やり起訴に持ち込んだ。

 

鳩山政権が誕生すると、鳩山氏は有事駐留、最低でも県外、、、という言葉を持ち出す。

米国は早くから、この鳩山発言に反対を表明する。

日本に強く圧力をかけルース駐日大使は、岡田外相と北澤防衛相を前に

顔を真っ赤にして怒りをあらわにしたという。

そして早速二人は県外移転は難しいと表明

 

小沢氏が第七艦隊発言を持ち出した時と同じく、鳩山氏も自民党、評論家、メディアから

激しく非難された。

 

そして日米双方から総攻撃を受けることになる。

そして北澤俊美防衛相、岡田克也外相も早々と鳩山を見捨てる。

首相が選挙で公約を実現するために、動いているのに防衛省も官邸も

外務省も誰も動かない。

 

結局、有事駐留、最低でも県外を掲げた鳩山氏は四面楚歌状況に陥り

県外移転を断念し、鳩山内閣支持率は急落2010年6月2日首相を辞任した。

 

鳩山を引き継いだ菅、野田は極端な対米追随路線に転換

これなら全く自民党政権と同じ、、、、

政権交代した意味はない。

 

ということで民主党の支持率急落、、、、、

民主党崩壊となりました。

 

自民党政権に飽き飽きして、民主党を選んだのにこれでは政権交代した意味がない。

国民民主、れいわ新選組は国民の期待に応えてくれるのでしょうか。

財務省、米国の圧力に屈しないで国民の期待を一身に背負ってくれるのでしょうか。

 

 

 

 

こんにちわ、ゴールデンウイーク突入ですね。

 

★★★陰謀の開始

 

 

 

あの当時、あんな大それたことがどうしてできたのか。

不思議で仕方がありませんでした。

まるでドラマを見ているかのような思いで、信じられませんでした。

 

そういえば、秀吉だって天下人になった、、、、

 

やってできないことはない、、、、

 

勤王の志士(忍者)とは何か、、、、

勤王の志士(忍者)たちが目指した王政復古とは何か、、、、

といことを認識しなければ、明治維新の本当の姿は見えて来ない。

 

そしてこの幕末に生きた天皇が孝明天皇

しかしこの孝明天皇は、志士たちとは真逆の考えの持ち主でした。

つまり佐幕派、会津藩信任、公武合体、攘夷

 

それゆえ志士たちの最大の障害となり、亡き者にしなければ

志士たちの討幕、王政復古は実現できません。

そして孝明天皇の後を継ぐ息子、睦仁親王も父親と同じ考えならば

すり替える必要がある。

 

かくしてウラ毛利忍者の上忍、益田親施と中忍、吉田松陰の命令で

早くから下忍、伊藤俊輔が傅役となって、育成していた玉、大室寅之祐を

世に出す陰謀が開始されたのです。

 

これを実現するためには、まず勤王派の結束を図らねばならない。

それには一橋慶喜計画に加担していたことは、いうまでもない。

薩長同盟を演出した坂本龍馬は、勝海舟の命を受けており

勝は慶喜と相談していたという。

 

その相談というのは、

「王政復古し、徳川の安泰をならしめよう」というもの。

これが慶喜と勝による日本改造計画です。

慶喜は得意の二枚舌を使って、佐幕派勤王派両派の幹部を

コントロールしようとしたのです。

 

そしてその計画を実現するため、竜馬は薩長同盟の成立に向けて

奔走していくことになります。

 

吉田松陰の門下生に吉田稔麿がいる。

稔麿は文久3年被差別部落の人々を、兵士とすることを藩政府に献策して

屠勇取立方に任ぜられました。

その結果、諸隊の中に維新団、一新組などができた。

 

長州藩はさらに、赤禰武人の屠勇隊、山代茶、上関茶筅隊

伊藤俊輔の力士隊など、多くの同和軍団を作りました。

これらの同和軍団は、同時に忍者の部隊でもあったのです。

 

維新の原動力となったのは、これら同和軍団でした。

 

ところがこの時期の孝明天皇は、佐幕派で志士たちとは真っ向から対立する。

同和軍団にとって天皇は、最大の障害、天皇の命は危険なものとなったのです。

 

元治元年3月、禁裏御守衛総督となった慶喜は、京都守護職松平容保と結んで

京都の兵権を握りました。

この将軍慶喜と、容保に支えられる朝廷と対決したのが長州軍です。

 

天皇は慶喜に長州軍の撤退を命じ、慶喜に長州を討伐せよとの勅書を発した。

禁門の変です。

さらに長州討伐の朝命を下す。

第一次長州征伐です。

天皇は京都で暴れまくるテロリストたち(同和軍団)を毛嫌いしていたのです。

 

●石井孝 歴史学者

 

孝明天皇は、徹底した保守主義者である。

すなわち内政的には幕府支持、外交的には鎖国擁護であり、一言でいえば

佐幕攘夷が幕末の政局に処する一貫した態度であった。

井伊大老が不慮の死を遂げたのち、幕閣は和宮の降嫁を勅許するよう要請してきた。

はじめこれに難色を示すが、やがて幕府を支持し、降嫁に乗り気になった。

若年からの天皇の友人である、岩倉具視は後に変節して、薩長同盟と結び

討幕に参加するが、天皇の佐幕の意思は死ぬまで変わらなかった。

 

それから文久元年10月、皇女和宮は東下の途についた。

井伊直弼の暗殺によって、幕府の弱みをさらけ出したその急場を

将軍家茂と和宮の結婚という、公武合体によって切り抜けようとした。

そうなると反幕勢力であった、薩長は打つ手がない。

 

 

 

だから薩長は陰謀を開始したのです。

 


 

二人で一人の明治天皇著松重揚江

こんにちわ 前回

日本は明治時代から、やくざ、暴力団と政治、経済、すなわち

日本独自の権力構造が、構築されてきました。

そしてそれはしっかりと日本に根付いています。

と書きました。

 

 

★★★ヤクザは日本の歴史を重要視する。

 

日本は昔からヤクザと共存して生きてきました。

ヤクザは盃の儀式で、神道神事の作法を踏襲する。

博徒は式場の正面に「天照大神」

向かって右に「八幡大菩薩」

左に「春日大明神」、、、、、の三幅の掛軸を掲げる。

 

 

またこの三神の代わりに

「天照皇大神宮」「神武天皇」「今上天皇」、、、、、となることもあります。

また地方によっては、多少、祭神が変わる場合もあります。

神道系は正面中央に「神農黄帝」

右に「天照皇大神」 左に「今上陛下」

の三幅を祭ることが多い。

 

何を言いたいかというと、祭る神は天皇という言葉がよく出てきます。

帝とか陛下などという言葉も出てきます。

昔から皇室は、このヤクザと深い関係にあるということです。

 

ヤクザは天皇教護持をもって、体制の維持を図ってきたのです。

ヤクザは天皇制護持という体制の中で、生きてきた組織です。

天皇を中心に天皇の周辺の人々は、彼らヤクザを利用して生きてきた。

 

だから日本は明治時代から、暴力団と政治が付きまとうのです。

日本という国家は、ヤクザと警察の密接ななれ合いの下に存在している。

そういえば、警察って怖いです。

 

普通の市民にはわからないが、一度捕まれば犯人でもないうちから

犯人扱いされ、死ぬほどの拷問を受け命まで落とす人もいる。

言葉も荒くヤクザそのもの、、、、

 

こういう国家なので、いろんなところで無責任体制が確立されている。

●領収書のいらない金を私的に流用し、湯水のごとく使う政治家たち

●特別会計という裏帳簿作り、それを堂々とやっている国家

●世界にはないが、日本にだけある異常な組織の多さ

●御用学者、御用ジャーナリストなど

  うじゃうじゃのさばる異常国家

●失敗があっても誰も責任を取らなくてもいいという無責任体制

 

もう数えあげたらきりがありません。

 

★愚かな国民が選ぶ、愚かな政治家による日本作り

 

愚かな国民による投票で選ばれた、愚かな政治家が愚かな政治を行う。

日本は気づいたらほとんど戦後は、ずっと自民党による政治が続いています。

確かにいい時代もありましたが、ここ20年30年は、失われた時代と言われ

国民にとっては大変な時代です。

 

これもみんな政治の無責任体制の結果です。

デモその無責任体制を作り上げた自民党を選んだのは、国民です。

だから愚かな国民による投票で選ばれた、愚かな政治家たちを

引きずり落とさなければならない。

愚かな政治家による日本づくりは、もう永遠に来ないように、、、、

 

 

さて話を明治にもどしましょう。

ここから始まった日本の闇、、、、、

明治維新はなぜ起こったのか、、、、、、

その始まりは黒船来航でした。

 

★二つの思想に分けられた日本

 

嘉永6年6月9日、マシューペリー率いるアメリカ合衆の艦船4隻が日本に来航

その時ペリーはアメリカ大統領の親書を携えて来ました。

そして砲艦外交を日本に迫った。

 

砲艦外交とは、軍艦で開港や貿易を要求し、応じなければ戦争になるぞと

脅迫するやり方です。

ペリーは軍艦の空砲を放ち、幕府に圧力をかけた。

 

その結果1854年に日米和親条約が結ばれ、日本は初めて外国と条約を結んだ。

このころ、幕府は開国、西南諸藩は尊王攘夷でした。

ペリーが来てから、日本は大きく二つの思想に分けられました。

 

攘夷派、、、外国排除  と開国派です。

 

外国排除の攘夷派は薩摩と長州

薩長はこのころ権力を握るため、時の首都である京都で暴れていた。

 

幕末とは、江戸幕府の末期を指す。

安政元年(1854)年の日米和親条約の締結から、慶應3年(1867)年の大政奉還までの

13年間を指します。

 

幕府が条約を締結すると、薩長は狂ったように幕末の京都で討幕運動を展開

 

このころ勤王、佐幕という言葉が飛び交いました。

勤王とは、天皇のため働くということ。

尊王とは、天皇を敬うということ。

攘夷とは、外国を追い払うということ。

佐幕とは、幕府を助け幕府を支持すること。

倒幕とは、幕府を倒すこと。

討幕とは、幕府を攻撃すること。

 

尊王攘夷とは

天皇を尊ぶ尊王論と外国勢を追い払う攘夷論が結びついた政治思や運動です。

水戸藩が尊王と攘夷という二つの言葉を結び付けて、世に広め

時代を動かすスローガンとなりました。

 

これは政治をいにしえの王政に戻し、徳川家を諸大名並みに

引きずり落とすことを目的とした運動です。

 

京都で暴れまくる薩長に手を焼いた幕府は、その治安維持組織として

新選組と京都見回り組を設立します。

 

幕末の京都で、薩長がやったことは、討幕運動を展開し幕府を倒し

薩長政権を樹立すること。

そのために1866年1月21日、長州の木戸と薩摩の西郷が坂本の仲介で

薩長同盟を結んだ。

 

薩長同盟は、天皇を敬い外国を撃退する尊王攘夷を掲げていた。

この動きに脅威を感じていた慶喜は、1867年政権を朝廷に返す

大政奉還を行う。

 

この幕末の時期の天皇が、孝明天皇という悲劇の天皇でした。

36歳の若さで突然、この世を去ってしまうのですが、、、、、

その死は多くの謎に包まれています。

 

その子、睦仁親王の生き方もなんとも不思議なことばかり。

この幕末の天皇父子の死の謎と、生き方を見ていくと明治維新の

からくりが見えてきます。