こんにちわ
今、関税のことで大変ですね。
関税も大変だけど、トランプは思いやり予算の増額を要求する構えです。
新駐日米大使に指名された、ジョージグラス氏は
「米軍に対する日本の支援を、継続的に増大させる」
としています。
金がない、財源がない、、、と騒いでいる財務省や自民党は
そういう要求には応じるんでしょう。
国民の減税には応じないけど、、、
だけどどうして米国の要求にそんなに応じなければならないのか。
不思議だとは思いませんか????
戦争に負けて、占領下に入った日本ですが、戦争に負けたから
GHQの占領下に入ったから、要求に応じなければならないのか。
戦後80年もたつのに、ずっと植民地でいなければならないのか。
戦争に負け占領された国は、ほかにもあります。
でもそれらの国は、みんな戦後、米国の植民地になっているでしょうか???
言われるままに金を差し出し、日本の陸も空も米軍の思いのままに使われて
そんな異常な国は、ほかに知りません。
この異常な状況を知るためには、過去の歴史を知ることです。
ということで、これから日本の闇について見ていくことにしましょう。
日本は明治時代から、やくざ、暴力団と政治、経済、すなわち
日本独自の権力構造が、構築されてきました。
そしてそれはしっかりと今も日本に根付いています。
日本独自の権力構造は、日本の暗部の歴史でもあります。
★★★日本の闇を追う
●新井喜美夫
明治維新で日本は毒を宿した。
それはやがて全身に回り、心なきエリートを生み出した。
その典型的な形として現れたのが軍部であり、彼らによって
日本は破局へと誘われた。
明治時代、日本が発展したのは江戸の精神がまだ残っていたからである。
だが時が経つにつれ、維新によって移植された悪癖ばかりが
増幅していった、、、、
(転進瀬島隆三の遺言より) 新井喜美夫
ここで新井喜美夫について
彼は1927年に東京で生まれ、、東京大学卒業後、明治生命に入社
その後、東急エージェンシーに入社、社長、会長を経て2000年退社
彼は多くの本を世に出した著述家でもあります。
「日米開戦への真実」は名著です。
そしてこの新井喜美夫は
「すべての病根は、明治維新にあったと言わざるを得ない」
と書いています。
この考え方は、大野芳の説とも一致する。
大野芳とは、作家、著述家です。
●伊藤博文が天皇を殺した
1909年10月26日、伊藤博文が暗殺された。
犯人は,韓国人、安重根
大野芳 天皇の暗号
「伊藤博文が孝明天皇を殺した。
この段階では、裁判関係者と政府首相の一部が知るのみであった。
ところが公判が始まって3日目の明治43年2月9日午後4時過ぎ
自由な発言を許した裁判長は、安がそれを陳述すると予期して
発言の途中で封じたのである。
国民はせっかくの噂の真相を知る機会を逃した。
そして日本は、世界戦争の待ち受ける荒波の海に小舟を漕ぎ出すのである。
日清、日露、支那、太平洋と幾多の戦役の原因は、すべて
明治維新のからくりにあった。
また、国内の論争、騒攪もまたここに帰結する。」
韓国の志士、安重根は伊藤博文を殺したその斬奸状の中で、伊藤博文の
罪を15カ条あげています。
そのはじめに
1867年、明治天皇陛下父親太皇帝陛下(孝明)天皇)弑殺大逆道の事
と述べている。
さらに旅順法務院法廷での安重根の発言
「日本は東洋のかく乱者なり
伊藤公は前年閔妃を殺害したる首謀者なり
また公爵は、韓国の外臣なるにもかかわらず、わが皇室を欺き
先帝を廃位したり。
ゆえに伊藤公は、韓国に対し逆賊なるとともに、日本皇帝に対しても
大逆賊なり。
彼は先帝孝明天皇、、、、」
ここで裁判長は安の発言をあわてて差し止めました。
この安の発言から孝明天皇暗殺の噂が、すでに韓国人にまで
広がっていたことがわかる。
★顔のない明治天皇
明治神宮外苑の聖徳記念絵画館には、当代一流の 画家の筆による
「明治天皇一代記」の絵画や記念品がズラリと展示されています。
ところが、青少年時代の明治天皇を描いた絵画には、どれも
お顔が描かれていない、、、、
そのお顔が現れるのは、憲法発布の式典のころからです。
不思議ですね。
★ 失敗以外のなにものでもない明治維新 松重揚江 歴史研究家
幕末から明治初期にかけて展開された激動の「維新史」や「明治史」には
今なお多くの謎が隠されている。
アメリカ合衆国憲法の父と呼ばれたジェームス マディソンは
「人民が情報を持たず、情報を入手する手段を持たないような政府は
喜劇への序曲か悲劇への序章か、あるいは双方への序章にしか過ぎない
知識を持つものが、無知なものを永久に支配する」
と述べている。
この言葉は、太平洋戦争の敗戦という日本国の悲劇を
「昭和天皇のご聖断が国を救った」 として終戦時の情報をすり替え
最大の戦争犯罪人である昭和天皇の責任を
糊塗しようとする御用学者たちの、終戦偽史秘話作りを
明確に予言したものである。
ありていに言えば、のちの昭和天皇を生むに至る明治維新は
維新そのものが失敗以外の、何物でもなかったということになる。
★ウラ毛利忍者の執念
明治維新とはただ徳川幕府から政権を奪い取った薩長が明治政府を名乗り
政権交代しただけです。
革命でもなんでもありません。
最近では自民党から民主党に、政権交代した時期がありましたね。
アッという間に元の自民党政権に戻ってしまいましたが、、、、
それではなぜ薩長は、政権交代をしたかったのか、、、、
誰でも権力の座につきたいものですが、彼らの場合は関ケ原の
怨念を晴らさんとするがため、毛利武士集団は徳川転覆に半端ない
決意をかけたのです。
そのため莫大な討幕軍資金を消費したという。
宝暦2年、毛利八代藩主、重就、当時27歳は撫育方、撫育金の制度を創設し
幕末まで一世紀にわたって、富国蓄財を極秘裏に続けた。
こうした努力により萩指月城中に埋蔵された軍資金は
何百万両にもなっていた。
ウラ毛利とは、初代輝元が作った「毛利一門六家二家老」のこと。
ウラ毛利忍者の存在は、表向きには撫育方で防長二州の産業振興役
裏の任務は撫育金、革命軍資金の管理であった。
その長官は萩本藩の城代家老、増田公、その家臣(忍者)たちも
よく訓練されており、決して表に出ることはなかった。
そのためか今もほとんど知られていないが、その階級組織は
厳しく規定され上忍、中忍、下忍と別れていた。
吉田松陰(中忍)をはじめ明治維新のなかで大きな役割を果たしたのも
これらウラ毛利の忍者たちでした。
ウラ毛利の忍者たちは、関ケ原の屈辱を晴らすという念願を成功
させるため藩是にマイナスになるような藩主をも取り替えるという
ウラの仕事を専らとしていた。
このウラ毛利の忍者たちによって藩主3人が暗殺されています。
天保7年、斉熈、斉元、斉広です。
また、元治元年11月、睦仁親王の叔父にあたる中山忠光卿は山口県豊浦郡
田耕村の山中で長府お抱えの下忍たちによって、扼殺されています。
二人で一人の明治天皇著松重揚江