気になるニュースチェックします。 -3ページ目

気になるニュースチェックします。

毎日気になる最新のニュースをチェツクします。

 

★地獄の10年の始まりです

 

参院選が終わりました。

おめでとうございます、失われた30年が40年に延長されます。

大勢の国民はそういう選択をしたのだから仕方ありません。

また、歯を食いしばって生きるよりしかたありませんね。

 

 

しかし、こうなったら総理は国民投票にした方がいい。

衆参両院で少数与党なら、何も自公政権で総理をやる意味がない。

国民投票にして総理を選ぶ、、、、それが一番いい。

少数自民党の中で、ごちゃごちゃやっているより国民に選ばせた方がいい。

 

 

今回躍進した国民民主も参政党も、みんなバックがついています。

過半数割れした自公政権ももちろんです。

そのバックというのが、この国の一番大きな経済団体、経団連です。

 

失われた30年を作り出したのが、自公政権と経団連です。

経団連は自公政権に様々な提言を行います。

提言ならいいが実は、提言という命令です。

 

自公政権はその経団連の命令を聞かなければならない。

なぜなら国会議員というバッジをつけさせてくれた大恩人だから。

経団連は金や票で、自分たち子飼いをを国会に送り込む。

そういった息のかかった子飼いが、国会の半分以上を占めれば

どんなルールも変えられる。

 

経団連は過去に様々な要望を自公政権に命令してきました。

例えば、消費税、武器輸出、集団的自衛権、派遣労働者、外国人労働者

ホワイトカラーエグゼンプション等々

 

そして自公政権はそれを忠実に実行しました。

というか、子飼いが国会の中に多数いるので、その連中が

数の力で押し切る。

 

今回の選挙の一テーマ、消費税を見てみましょう。

 

●消費税 経団連の提言

  

経団連(米倉弘昌会長)は、15日成長戦略の実行と財政再建の断行を求めると

題する提言を発表

提言は消費税を2025年に19%までに引き上げる一方、社会保障給付の

自然増を毎年200億円抑制すること。

法人実効税率を現行38・1%を25年には25%まで、引き下げることを求めています。

 

2025年と言えば今年です。

今年ほんとにこんな不況の中、消費税を19%にすると言うのでしょうか。

血も涙もないとはこのことですね。

 

消費税はやはり法人税穴埋めのため、増税されていましたね。

消費税を19%に引き上げ、法人税を38%から25%に引き下げることを命令しています。

自公政権はこの命令を守り抜かねばなりません。

そしてそれに続くのが、立憲、国民民主、参政党、維新です。

これからも自分たちにバッジをつけさせてくれる大恩人のため

国民を切り捨て経団連の命令を忠実に守っていくでしょう。

 

参政党から立候補した「さや」、、、、選挙中は消費税反対と訴えていたのに

選挙で当選したとたん、減税を段階的に、、、とトーンダウン

こんなものです。

だからまた地獄の10年が始まります。

 

 

 

 

 

★テロリストと徳川幕臣たち

 

吉田松陰       小栗忠順

桂小五郎       新見正興

高杉晋作       村垣範正

山縣有朋       小野友五郎

伊藤博文       木村喜毅

井上 馨       中浜万次郎

西郷隆盛       赤松大三郎 

大久保利通       岩瀬忠震  

           井上清直  

           林大学頭復斎

 

 

 

これらの名前

 

左の方は誰もが知っているいわゆる維新のヒーローと

呼ばれる人達ですね。

それに比べ右側は、ほとんど誰も知らないのではないでしょうか。

 

歴史教科書でも、教えてもらえませんでした。

それはなぜかというと、これらの名前が世に知られてはまずいからです。

薩長にとって、、、、

それゆえ日本人は右側の人たちの名前をほとんど知りません。   

 

自国の歴史なのに、自国の歴史の真実を知らされないなんて

この国は異常です。

それゆえ日本人ほど、自国のことを知らない民族はないと言います。

 

🌸歴史的な第一回日米交渉の日本側代表は、林大学頭復斎です。

🌸日米修好通商条約を締結したのは、岩瀬忠震、 井上清直です。

🌸ポーハタン号の船のトップは、木村喜毅です勝海舟ではありません。

🌸咸臨丸を操船したのは、小野友五郎です。

🌸遣米使節団の正使は新見正興、副使は 村垣範正、観察は小栗忠順 です。

 

このように出てくるのは全部、右側の名前ばかりです。

じゃ左側は何をした???  テロリストで残忍なテロをやった。

 

残忍なテロをやったテロリストたちも、官軍教育の歴史では

維新のヒーロー、、、、、となる。

それと同じように歴史のヒーローとなった男がいます。

 

勝海舟、、、、、でず。

 

★3つの大きな物語

 

明治時代のスタートとなった、明治新政府成立の歴史物語には

新政府のイメージ戦略として、大きな3つの物語があります。

1、京における桂小五郎と勤皇の志士たちの活躍

2、江戸を火の海から救った勝海舟と西郷隆盛の会談

3、勝海舟率いる咸臨丸の日本人による初めての太平洋横断

 

1はすでに見てきたように、勤皇の志士と呼ばれるテロリストたちが

テロを行い、京の街を恐怖に陥れたことを「活躍」と呼んで

テロリストたちをほめたたえています。

 

薩長という政争の勝者が行った歴史の虚偽、事実の隠蔽、事実の捏造は

余りにも多い。

この偽りの歴史を驚いたことに、これまで一度も検証してこなかったと

いうのだからすごい、、、、

できなかったのでしょう、あまりにも虚偽が多いし、事実を隠すし

事実を捏造したものだから、、、

 

この広く信じられてきた虚偽の歴史の代表格に、江戸城無血開城と

咸臨丸と勝海舟のことがあります。

薩長が徳川幕府を転覆させることによって成立した明治時代

それを支配した明治新政府の誕生

 

明治新政府はほとんどテロリストたちで成立されています。

だから勝麟太郎(勝海舟)を英雄視しても、小栗忠順の名前さえ教えない。

義務教育の歴史教育で、小栗忠順のことも新見正興のことも教えない。

本当に日本人て自分の国の真実の歴史さえ知らない民族です。

 

江戸城無血開城における勝海舟と西郷隆盛、勝海舟と咸臨丸にまつわる

お話は官軍教育に直結します。

つまり官のイメージを決定づけた代表的な虚偽です。

 

★何もしなかった勝海舟

 

通説    勝海舟が乗った咸臨丸による初めての太平洋横断

 

歴史の真相  咸臨丸に勝海舟は乗っていたが何もしていない。

 

咸臨丸といえば、勝海舟に指揮されて、初めて日本人が太平洋を横断

するという偉業を成し遂げた軍艦として、教えこまれましたね。

明治維新を彩る麗しい物語として、、、、

 

 

その咸臨丸はなぜ太平洋を渡ることになったのでしょう。

安政5年に日米修好通商条約が締結され、この条約の批准書交換のため

安政7年の正月に違米使節団を派遣することになりました。

 

正史新見正興、副使村垣範正、観察小栗忠順という三使率いる使節団

従者や賄いを含め77名の者たちは、アメリカ軍艦ポーハタン号に乗って

渡米しました。

 

この時、これまで長崎で行ってきた海軍伝習の成果を実地に試す

計画が立てられ、ポーハタン号の随伴艦として派遣したのです。

あくまでオランダ人から習った操船技術の実地訓練が目的でした。

 

 

しかしこの咸臨丸のトップは勝海舟ではありません。

木村摂津守嘉毅です。

さらに咸臨丸を操船したのは、アメリカ海軍ブルック大尉以下

11名の米兵と元笠間藩士、小野友五郎です。

 

では英雄とまつりあげられている勝海舟は何をしていたのでしょう。

技量、海事能力において何もできず、航海中ただ3度だけ甲板に出てきた

という証言が残っています。

 

次はこの勝海舟のお話を見ていきます。

 

知ってはならない明治維新の真実著原田伊織

いよいよ明日は投票日です。

私は火曜日に投票してきました。

 

参政党がすごいことになってるようですね。

参政党の憲法草案読んだことありますか???

 

★参政党の憲法草案

 

 第一章天皇

 第一条   日本は天皇のしらす君民一体の国家である。

       天皇は国の伝統の祭祀を主宰し、国民を統合する。

       天皇は国民の幸せを祈る神聖な存在として侵してはならない。

       

 第二条   皇位は三種の神器をもって、男系男子の皇嗣が継承する。

       皇位の安定継承のため、皇室はその総意として皇室典範を定める。

       皇族と宮家は、国が責任をもって、その存続を確保しなければならない。

 

 第三条   天皇は全国民のため詔勅を発する。

       天皇は首元として国を代表し、内閣の責任において

       以下の事項を裁可することができるる

       ただし同じ事項につき、内閣から重ねて奏請があったときは

       これを裁可する。

 

 これが参政党の憲法草案です。

 これは右翼的な天皇主権論でもなく、戦後的な民主主義論でもなく

 つまり右寄りでも左寄りでもない中道的な路線を表明しているという

 よく考えた草案です。

 

 でもこれを見ると戦前の明治憲法によく似ていると思いますね。

 言葉も「天皇しらす」「君民一体」「神聖」「詔勅」「首元」とか

 戦前に使われた言葉が勢ぞろいしています。

 

 つまりこの憲法草案は、右翼的な天皇主権論ではないが

 戦後の民主主義的な主権論でもない。

 戦前の大正デモクラシーにつながる完全な戦前の中道です。

 

 右寄り左寄りと言えば、聞こえはよくないが、中道ならばそれもいい。

 よく考えられた憲法草案になっています。

 だから国民は主権を使えなくなるし、天皇も主権を使えなくなる。

 すると憲法に従わなくなければならなくなる。

 

 こうして憲法政治が行われていく仕組みが出来上がる。

 右も左も仲良く中道にして、国家主権に吸い上げて

 最後は参政党の憲法草案に従わせる。

 

 非常に狡猾な戦略です。

 参政党の憲法は国家主権が前提です。

 れいわのような国民主権ではありません。

 これは非常に恐ろしいことでもあります。

 

 

★自民党に搾取され続けないために

 

こんにちわ、参院選で自民党は裏金議員15人を全員公認しましたね。

この面の皮の厚さには開いた口がふさがりません。

何をやっても自民党は勝つんだ、、、という石破の思い上がりが見えてくる。

 

しかし世論では裏金議員全員を公認したことで、自民党支持者の

比例離れが起こっています。

さらに自民党は、利権のため一次産業を破壊し、日本人の主食の米を

高くして買えない国にした。

 

そして幹事長の森山は、何としてでも消費税を守り抜くと豪語しました。

消費税は自民党の、企業献金を死守しようとする裏金に使われています。

だから森山は何としてでも、消費税を守り抜かねばならないんです。

国民を守る気など一ミリもありません。

 

自分たちは裏金を脱税しまくってきたくせに、貧乏人には選挙があるから

2万円でも配っておけばいい、、、、とバカにしまくった態度

自民党のこの裏金体質は、今後も永久に変わりません。

国民はコメも買えず、自民党に搾取され続ける今の状況を

なんとかしなければなりません。

 

★日本は不平等条約を結んだのか

 

通説    日本が結ばされた日米修好通商条約は不平等条約である。

 

歴史の真相  不平等条約となったのは、薩長のテロのためだった。 

 

 

薩長が徳川幕府を倒し、明治政府を立ち上げて以降、日本人が

不平等条約、不平等条約といって蔑んできたのが日米修好通商条約です。

ペリーがやってきて、弱腰の幕府にいきなり不平等な条約を

押し付けたというような歴史フィクションを、信じている日本人の

なんと多いことか、、、、、

 

●悪名高き不平等条約の内容

 

今日でも不平等条約と悪名高きこの日米修好通商条約の内容は

次の通りです。

この条約のいったい、どこがどれほど不平等なのでしょう。

 

一、日本政府はワシントンに外交官、各港に領事を置くことができる。

  外交官、領事のアメリカ国内の旅行は自由

 

一、合衆国大統領は、江戸に公使を派遣

  各貿易港に領事を任命する

  公使、総領事の日本国内の公務旅行には免許を与える

 

一、日本とヨーロッパ諸国との間に問題が生じたときは、

  合衆国大統領が仲裁する

 

一、日本船に対して、航海中のアメリカ軍艦は便宜を図る

 

一、下田、箱館に加えて以下を開港、開市にする

  神奈川 (神奈川開港6か月後、下田は閉鎖する)

  長崎

  新潟またはその近くの港

  兵庫

  江戸開市

  大阪開市

 

一、これらの開港地に、アメリカ人は居留を許され

  借地、建物の購入建築は可

  ただし要害となり得る建築物は不可(日本人が検分)

 

一、江戸、大阪には商取引のための滞在(逗留)は可

  居留は不可

 

一、両国商人は自由に取引できる。

  役人は介入せず

 

一、日本人はアメリカ製品を自由に売買、所持できる

 

一、米麦は船舶乗組員用食糧としては販売可

  積荷として輸出は不可

 

一、輸出品はすべて日本の運用所(税関)を通す

 

一、アヘンの輸入は禁止

 

一、外国通貨と日本通貨は同種、同量で通用

  すなわち金は金と銀は銀と交換可

  

一、取引は日本通貨、外国通貨どちらでも可

  ただし開港後、1年間は原則として日本通貨で取引を行う

 

一、日本人に対して犯罪を犯したアメリカ人は、領事裁判所にて

  アメリカ国内法によって裁かれる

  アメリカ人に対して犯罪を犯した日本人は、日本国内法によって

  裁かれる

 

一、アメリカ領事館は、日本人の上告を、日本の役所は

  アメリカ人の上告を受け付ける

 

一、開港地におけるアメリカ人の外出許可範囲

  神奈川   東は多摩川までその他は十里

  函館    概ね十里四方

  兵庫    京都から十里以内は禁止、他の方向へは十里

  長崎    周辺の天領

  新潟    後日決定

 

一、アメリカ人は信教の自由を認められ、居留地以内の

  教会設立は可

 

一、アメリカ人は日本の神社、仏閣等を毀損してはならない

 

一、宗教論争は禁止

 

一、長崎での踏み絵は禁止

 

一、アメリカ領事は居留、来航アメリカ人に対し、日本の法律を

  遵守させることに努める

 

一、日本政府は、軍艦、蒸気船、商船、捕鯨船、漁船、大砲、兵器等を

  購入または製造を依頼するため、アメリカ人を自由に雇用できる

  学者、法律家、職人、船員の雇用も自由

 

一、本条約は1859年7月4日より有効

 

一、条約批准のため、日本使節団がワシントンを訪問する

  何らかの理由で批准が遅れても、本条約は指定日から有効

 

一、条約文は日本語、英語、オランダ語にて作成

  オランダ語文を原文とみなす

 

長年ヒステリックに不平等と指摘され続けてきたそのポイントは

関税自主権と領事裁判権でしょうか。

成立した関税率は、ハリスから日本側に提示したものです。

そしてそれに日本側も同意しました。

 

◎金、銀、貨幣、地金、日本に居留する者の衣類、書籍、諸道具は無税

◎外国船舶の需要品、各種動物、パン、塩漬けなどは一割

◎酒類一切は三割五分

◎その他の物品は二割

これをもって不平等とは断じて言えません。

 

日本は自由貿易開始直後から、貿易黒字を計上しています。

ところが

開始早々から貿易黒字を計上するという国益をもたらした条約を

国内の討幕派が破壊したのです。

 

★不平等条約にしたのは薩長のテロリストたち

 

薩長の連中は、自由貿易ということに何の見識ももっていない。

残酷なテロに血道をあげ、自由貿易開始直後からこのテロリスト

たちは日本国内はおろか、外国人をもテロの標的にした。

 

薩長の過激派が、外国人を殺害し、外国船を砲撃するたびに

幕府は損害賠償として、貿易関税を下げざるを得なかったのです。

 

●竹内使節団

文久元年12月、安藤信正は竹内使節団をヨーロッパに派遣

そこでロシア人水兵が殺害され、ハリスの通訳を務めた

ヒュースケンが薩摩藩士に殺害され、水戸藩の浪士が

イギリス仮公使館がおかれていた品川東禅寺を襲撃するなど

外国人を標的にしたテロが頻発するなか条約に定めた

江戸、大阪開市、新潟兵庫の開港を延期するしかなくなり

その交渉のためフランス、イギリス、ロシア、オランダ、ポルトガル

などを歴訪する施設団でした。

 

そして開港、開市の5年延期を認めてもらうかわりに

水晶や酒類の関税率を引き下げざるを得なかったのです。

薩長のテロリストたちは、自由貿易を構築して富国を図りつつあった

徳川の足を引っ張り、日本の富を流失させただけの

どうしようもない連中だったというわけです。

 

 

★日本の幸福であるとハリスは言った

 

ハリスは安政3年7月に下田に来航し、12月岩瀬忠震、井上清直との

間で通商条約交渉が始まりました。

ハリスという人物は、清廉潔白な人間ではありません。

 

むしろ通貨の交換比率の隙に乗じて、私腹を肥やした我欲の強い人物です。

しかしこの交渉において、岩瀬、井上の真摯な姿勢、自由貿易に対する

熱意に打たれ、良心的に対応しています。

 

岩瀬と井上は、自分たちが未経験でわからないことは正直に

教えてほしいという態度を示し、それに対してハリスも正直に諸外国の

事例を教えるということが何度もあった。

 

後にハリスは次のような証言を残しています。

「彼らは議論のため、自分の草案はしばしば真っ黒になるまで

 添削、改変せられその主意まで改正したこともある。

 このような全権委員を持ったのは、日本の幸福である」

 

日米通商条約を不平等な方向へ改変していったのは

薩長のテロリズムです。

自ら真っ当な条約を壊しておきながら、明治政府が成立するや否や

これを不平等と決めつけ、その責をすべて幕府に被らせたのです。

やることが実に悪辣です。

 

現在の日米地位協定は、不平等どころか奴隷そのものの条約です。

普通の独立国なら到底、受け入れるはずもない代物です。

それを受け入れて後生大事に守っているアホな政治家たちに

安政の日米条約を不平等などという資格はない。

 

 

知ってはいけない明治維新の真実著原田伊織

こんにちわ

毎日ほんとに暑いですね。

 

西へ西へと拡張したアメリカは、遂に日本にたどり着きました。

そこは江戸期の日本でした。

嘉永6年6月、アメリカ東インド艦隊司令長官マシューペリー率いる

4隻の軍艦が浦賀沖に来航しました。

これが有名な黒船来航です。

 

★お祭り気分の江戸市民

 

通説     ぺリーは黒船の武力を背景に、幕府に開国を迫った。

 

歴史の真相  ペリーは礼砲を盛んに撃って、幕府を威圧した。

       幕府も江戸庶民もパニックにはならず、お祭り気分だった。

 

 

ペリーは嘉永6年6月と7年1月と二度にわたって、日本に来航しました。

ペリーの来る8年も前、弘化2年(1845)にアメリカはビットル提督を

やはり日本に派遣しているのです。

 

だから、ペリーのやってくる目的を幕府も庶民も知っていました。

ペリーが初めて大きな黒船で、日本にやってきたのではありません。

そして黒船の武力で日本に開国を迫ったのでもありません。

 

ペリーは確かに礼砲を盛んに撃って、幕府を威圧しました。

礼砲というのは、国債儀礼の一環として、軍隊や軍艦が敬意を

表すため撃つ行為です。

外国の軍艦が港に入港する際に行われます。

だからぺりーは武力で幕府に迫ったわけではありません。

 

 

ペリーのやってきた目的は、あくまでも日本と通商関係をもつことでした。

それともう一つ、蒸気船に必要な石炭補給のための港を提供させる

ことにありました。

 

アメリカは西へ西へと拡大し、西部開拓はすでに太平洋岸まで達した。

次なる西部、太平洋市場の制覇には、蒸気船がまだ太平洋を

横断できない以上、どうしても日本との外交関係、通商関係が

必要だったのです。

 

また幕府も江戸市民もペリーの来航には、まったくパニックには

なっていませんでした。

むしろ楽しんでいたことが、瓦版などから伝わってくると言います。

 

さらに二度目の来航の時は、お祭り騒ぎになったといいます。

見物人を見込んで、出店まで出る始末で、なかには小舟を仕立てて

黒船に近付こうとする者まで現れ、奉行所役人はその取り締まりや

注意に必死になっています。

 

官軍教育で教わってきた歴史教育とは、全然違いますね。

 

 

★堂々たる初めての日米交渉

 

通説     アメリカの圧力に屈して、幕府は日米和親条約を

       締結させられた。

       しかもそれは不平等条約だった。

 

歴史の真相  幕府はペリーと対等に互角に渡り合った。

       それは不平等条約などではない、日本側に分が

       ある条約だった。

 

 

ペリーを相手にした初めての日米交渉は、誰が行ったのでしょう。

このこともあまり語られていませんね。

歴史的な初めての日米交渉の日本側代表は、林大学頭復斉です。

 

●林大学頭復斉(はやしだいがくのかみ ふくさい)

 

日米修好通商条約を締結した岩瀬忠震(いわせ ただなり)

箱根奉行の堀 利熈(ほり としひろ)は、復歳の甥です。

つまり和親条約を叔父が、通商条約を甥が締結したのです。

 

復歳はそれまでも、紅葉山文庫の書物奉行、二の丸留守居

西丸留守居、、、、などを務めています。

ペリーが来航した6年に林大学頭家第十代、林壮軒が死去したため

54歳にして大学頭家を継ぎました。

 

その林大学頭復斉が、ペリーを相手に見事な外交交渉を展開した。

その後、明治から令和の今日まで日米交渉において、日米が実質的に

互角に渡り合ったことは一度もありません。

 

それゆえこの歴史的な第一回の交渉の詳細は、官軍教育において

一度も語られることはなかった。

薩長が幕府を倒して、明治政府を成立させてから令和の今日まで

日米交渉で一度も互角に渡り合ったことはありません。

 

それを徳川時代にやっていたとは、とても都合が悪いのでしょう。

 

●大阪学院大学 森田憲司教授

 

「教科書のみならず【武力に屈した】に類する言葉が

 黒船来航を語る際は常に付加されている。

 それによって生じた歴史認識上の問題は、想像以上に深刻と思われる。

 

 我々は鎖国というぬるま湯に浸かっていた幕閣が、国際的感覚を持つ

 アメリカの使節によって、冷や水をかけられ、やむを得ず国交を結んだ

 という虚偽の事実を教え込まれてしまったのである。

 

 このような認識の背景には、明らかに「ペリー艦隊日本遠征記」がある。

 確かに同署を読むと、頑迷で不誠実な日本という国を、アメリカが

 開国に善導したという印象を受ける。

 

 そして国際的にみれば、ずいぶんと立ち遅れていた日本は

 結果としてアメリカ側の要求通りの条約を結ばされてしまったかの

 ようにさえ感じられるだろう。

 

 しかし少し冷静に考えれば、それは同署の記述が全く公正な

 ものであるという保証などどこにもないということである。

 通常、このような二国間の交渉の実像を知るためには両陣営の

 言い分をきく必要がある。

 

 ところがアメリカ側の言い分である「ペリー艦隊日本遠征記」のみが

 日本で親しまれたことによって、明らかな事実誤認が生じた。

 そして幕府無能無策説」が教科書にまで影響を及ぼしたのである。

 

 これにより江戸時代と、幕藩体制は転覆されて然るべきもの。

 旧き悪しきもの、、、との認識が生まれても全くおかしなことではない。」

 

 

それでは歴史的な第一回日米交渉を見てみましょう。

林とペリーの交渉は嘉永7年2月10 日から始まりました。

 

まず林が大統領国書に対する回答を行います。

林     貴国大統領書簡で要望があったもののうち、薪水食糧と

      石炭の供与は差支えない。

      流民の救助も我が国法通りである。

      以上二条は了承する交易等は了承しかねる。

 

ペリー   ミシシッピー号の乗組員一名が病死した。

      海軍の慣例ではその地で、当方の自由に埋葬する。

      地形などから夏島を希望するが、承知願いたい。

 

林     不憫に思う、軽輩とはいえ人命に軽重はない。

      我が国では、寺に葬るのが常でありいずれの国の者でも

      無人の地(夏島)に葬るのは不憫である。

      浦賀の燈明台の下は如何か???

 

ペリー   ここから浦賀に送るのは手間取る。

      今回の交渉により、どこかの港にアメリカ人の滞在が

      可能となるはずである。

      その都度浦賀まで行くのは大変である。

      

林     浦賀に外国船は入れない。

      墓参が必要ならその時に改葬されればよい。

 

ペリー   ご配慮に感謝する。

      我が国は人命尊重を第一として政策を進めてきた。

      自国民は当然のこと、国交のない国の漂流民でも救助し

      手厚く扱ってきた。

      しかるに貴国は、人命を尊重せずに近海の難破船も救助せず

      海岸近くに寄れば発砲し、漂着した外国人を罪人同様に扱い

      救助した日本人を送還しようにも受け取らない。

      自国民をも見捨てているようにみえる。

      これらは如何にも道義に反する行為である。

      我が国のカリフォルニアは太平洋を挟んで日本国と

      相対している。

      今後、往来する船は増えるはずであり、貴国の国政が

      今のままでは困る。

      多くの人命にかかわることであり、放置するわけにはいかない。

      国政を改めないならば、国力を尽くして戦争に及び

      雌雄を決する用意がある。

      我が国は、隣国メキシコとの戦争で、その首都まで攻め取った

      ことと次第によっては、貴国も同じようなことに

      なりかねないであろう。

 

林     戦争も在りうるだろう。

      しかし貴官の言うことは事実に反することが多い。

      我が国政に疎いのはやむを得ないが、我が国の人命尊重には

      世界に誇るべきものがある。

      三百年にもわたって平和が続いたのも、人命尊重があっての

      ことである。

      第二に大洋で外国船を救助出来なかったのは、大船の建造を

      禁止してきたからに過ぎない。

      第三に他国船が、我が国近辺で難破した場合、必要な

      薪水食糧は十分な手当を行ってきた。

      漂着民は手厚く保護し、長崎に護送、オランダを通じて

      送還している。

      貴国民の場合も同様であり、すでに措置を講じて

      送還済である。

      貴官が我が国の現状についてよく考えれば、疑念は解消する。

      積年の遺恨もなく戦争に及ぶ理由はない。

      とくと考えられよ。

 

ペリー   今後も薪水食糧石炭の供与と難破船救助を堅持されるなら

      結構である。

      では交易はなぜ承知されないのか。

      そもそも交易とは大いに利益のあることであり、最近は

      どの国も盛んに行っている。

      それにより諸国は富強となり、貴国の国益にも叶う。

      ぜひそうされよ。

 

林     我が国において、自国の産物で十分足りており

      外国の品がなくても、まったく事欠かない。

      従って交易は行わない。

      貴官は先に人命の尊重と、船の救助と申された。

      それが実現すれば、貴官の目的は達成されたはずである。

      交易は人命とは関係ないではないか。

 

ペリー   もっともである。

      この度の目的は、人命尊重と難破船救助が最重要課題である。

      交易は国益にかなうが確かに人命とは関係がない。

      交易の県は強いて主張しない。

   

   

  この交渉を経て締結されたのが、日米和親条約です。

  アメリカ側が主張した24カ条は、12カ条に圧縮されました。

  幕府は避難港として、箱館と下田を開港、18か月以降にアメリカの

  領事 または代理人の駐在を許可しました。

 

  またアメリカに最恵国待遇を付与しましたが、治外法権は

  一切認めませんでした。

  治外法権認めまくりの

  今の政権とは大違いですね

 

 知ってはいけない明治維新の真実著原田伊織