こんにちわ、毎日暑くてやりきれませんね。
暑いだけでなく物価高もあるし、毎日ため息ばかりです。
なんか生きていくのが大変な世の中ですね。
★アメリカに消された政治家たち
日本はアメリカへの従属から逃れるため、アメリカに反旗を翻した
政治家がいました。
しかしその全員が。アメリカによって政治生命を絶たれました。
だから日本は、アメリカ従属の政治家たちと、アメリカ従属の
道を戦後ずっと歩んできました。
●アメリカに反旗を翻し消された政治家たち
鳩山一郎、石橋湛山、重光葵、芦田均、岸信介
田中角栄、小沢一郎、鳩山由紀夫、中川一郎、中川昭一ほか
●アメリカの言いなりになった政治家たち
吉田茂、池田勇人、三木武夫、野田佳彦、菅直人、中曾根康弘
小泉純一郎、竹中平蔵、安倍晋三ほか
★対米従属路線と自主路線
対米従属路線と自主路線、、、この二つが戦後の日本の
日米外交でした。
1945年9月2日、日本は降伏文書に署名しました。
ここから戦後が始まりました。
戦後、昭和天皇は日米関係の基本路線を決めるうえで
最も重要な役割を果たしました。
あの当時の首相、吉田茂が日米関係の重要な基本路線を
一人で決めて一人で安保条約に署名したわけではありません。
日米安保条約を結んだり、外交の表に出たのは吉田茂ですが
それは昭和天皇の意向に沿って動いたまでです。
だから日米の重要な基本路線を決めたのは、昭和天皇と
アメリカということになります。
もし、吉田茂が一人であの屈辱的な安保条約に勝手に署名し
こんな日本にしたのなら、とっくに暗殺されていたはずです。
売国奴、売国奴と蔑まれ日本一の大悪人として、歴史に刻まれた
事でしょうが事実は、そうはなっていません。
アメリカと対等に渡り合ったとか、表向きはいい評判ばかりが聞こえてきます。
それは昭和天皇の犠牲になったからです。
日米安保条約にたった一人で調印し、何もかも吉田が戦後の日本を
決めるうえですべて吉田茂のワンマン外交の賜物として、今に伝わっています。
例えば昭和天皇は、沖縄の軍事占領を
無期限で継続してほしい、、、、と米国に伝えています。
豊下楢彦教授は、こうした事実をもとに昭和天皇の政治関与を
克明に実証しました。
事実、戦後80年経つも未だに米軍は、沖縄の軍事占領を続けています。
無期限というのだから、80年どころか90年も100年も永久に続くでしょう。
日本政府は安保条約がある限り、どうすることもできません。
未だに日本はアメリカの植民地以外の何物でもありません。
★情けない国
戦後の混乱の中で、米国に毅然と立ち向かい日本の立場を意見を
主張した政治家がいました。
そして彼らの多くは、米国によって政治の舞台から排斥されました。
残ったのはアメリカのいいなりになった政治家ばかりです。
今現在もこの残ったどうしようもない政治家たちが、日本を運営しています。
運営しているなんて聞くと、ああそうかなんて思うかもしれないが
それは表向きで、事実はアメリカの指図通りに動いているだけです。
つまり間接統治をしているんです。
間接統治とは、政策はアメリカが決めます。
そのアメリカの政策通りに日本の政治家が、動いているということです。
アメリカが日本の政治家に、指示している場面は日本国民には見えません。
日本国民が見えるのは、アメリカの指示通りに動いている日本の政治家たち
だけです。
だからいかにも日本政府が、動いているようにみえますが、事実は
アメリカに指示された日本の政治家たちが、アメリカの指示通りに
動いているだけです。
情けない国です。
次回からアメリカに毅然と立ち向かった政治家たちを見ていきます。