A級戦犯が英霊に | 気になるニュースチェックします。

気になるニュースチェックします。

毎日気になる最新のニュースをチェツクします。

第二総軍は原爆投下で、全滅させられ第一総軍は偽装クーデターで

終わりを告げた。

そしていよいよ我々庶民の伺い知れない、雲の上での終戦工作が始まる。

 

★敗戦を知ったその日

 

8月15日のあの日、日本の敗戦を国民はどのように知らされたか

 

●日本放送出版協力会刊 放送五十年史 1977年

 午前7時21分 定刻より2時間21分遅れて、放送が始まった。

 放送員、飯野守男の正午に迫った天皇放送の予告アナウンスです。

 

 「謹んでお伝えいたします。

  かしこきあたりにおかせられましては、本日正午、御自ら

  御放送あそばされます。

  誠に畏れ多き極みでございます。

  国民は一人残らず、謹んで玉音を拝しますように。

  なお昼間送電のない地方にも、正午の報道の時間には

  特別に送電いたします。

  また、官公署、事務所、工場、停車場、郵便局などにおきましては

  手持ち受信機をできるだけ活用して、国民もれなく

  厳粛なる態度で、畏きお言葉を拝し得ますよう、ご手配願います。

  ありがたき放送は正午でございます。」

 

 以上の放送は繰り返し、9分間も放送されました。

 この放送は、国内放送、海外放送、東亜放送の全系統を動員して

 日本本土と中国占領地、満州、朝鮮、台湾、南方諸地域に送られた。

 

 そして全国民に対し、戦争の終結を告げる天皇の声が静かに流れた。

 朕深く世界の大勢と、、、、というあの言葉です。

 後に堪えがたきを堪え、忍び難きを偲んで、、という部分だけが

 反復されるようになりました。

 あとは何を言ってるのかさっぱりわからない、終戦の詔書を

 玉音放送として流しました。

 

 続いて和田信賢放送員によって、一億国民はこの御趣旨に

 添わねばならないことが伝達されました。

 そしてさらにポツダム宣言の内容、8月9日からの御前会議の要点

 カイロ宣言の内容などが、詳細に放送されたのです。

 約37分半の放送でした。

 

 しかし、この放送は雑音が多く、内容が非常に聞き取りにくいうえ

 証書が難解で人々は、内容がつかめませんでした。

 要するに何を言ってるのかわからないと、、、、

 

 その日、鈴木内閣は総辞職

 そしてこの日から日本は一変します。

 日本人はこの玉音放送によって、はじめて敗戦を知ったのです。

 

 ●萩原葉子 作家、詩人 萩原朔太郎の娘

 

 「15年にもわたる戦争を、聖戦と言わせられ

  勝つと信じ込ませられ、堪えがたきを堪え、忍び難きを忍んでことは

  多くの人々の命を奪われた挙句

  玉音放送一つでけりをつけられたことに

  どこか納得がいかなくても、誰一人苦情めいたことは言わなかった」

 

 

 日本政府は、ポツダム宣言を受け入れて終戦に至りました。

 そのポツダム宣言には、どんなことが書かれてあったのでしょうか。

 

 ★ポツダム宣言とは

 

 1945年7月26日、イギリス、アメリカ、中華民国の政府首脳の

 連盟において、日本に対し発せられた全13か条で構成される宣言

 日本は19日後の 8月14日にこれを受諾しました。

 

 その内容

 一、日本国民を騙して、戦争に引きずり込んだ者の権力、勢力を

   永久に取り除くこと。

 二、平和、安全、正義の新しい秩序ができるまで、連合国が占領すること。

 三、日本の主権が及ぶ領土を本州、北海道、九州、四国と

   連合国が決める小島に限定すること。

 四、軍の武器を完全に取り上げること。

 五、戦争犯罪を犯した者を罰し、言論、宗教、思想の自由と

   基本的人権を尊重すること。

 六、被害を与えた国への賠償を行い、軍事産業を禁止すること。

 七、民主的、平和的な政府ができたら、占領軍は引き上げること。

 八、無条件降伏を宣言すること。

 九、この宣言を受け入れない場合は、速く完全な破滅があること。

 

 以上がポツダム宣言のほとんどの内容です。

 しかしこれを見ると、七は今日まで実行されていません。

 占領軍は相変わらず、日本にいます、不思議なことです。

 

 ★聖なる戦争と讃えた大東亜戦争戦没者慰霊碑

 

 戦争が終わり昭和57年5月30日に、福岡県では大東亜戦争の戦没者

 慰霊碑を建立しました。

 そこには次のような言葉が刻まれています。

 「昭和20年8月15日、万世のために太平を開かんとの詔により

  万艱の涙をのみ終戦を迎えた。

  その後、36年営々として祖国再建に努力、今や世界の大国となった。

  惟うに今次の大戦は、自存自営のため日本国の存亡をかけ

  虐げられた民族の解放と、万邦共栄を願っての聖なる戦いであった。

  遂には敗戦の悲境に沈淪せしも、次々と亜細亜の民は独立と

  自由の栄光を勝ち得たことは、世界史上會てなき歴史の壮言なる事実である。

  この間、わが郷土部隊は、各地の激戦に参加し言語に絶する

  凄惨苛烈な闘いを展開、軍の華と謳われた。

  改めて英霊の崇高なる精神と、偉大なる業績に対し限りなき敬慕と

  感謝の思いを永久に伝えまつる

  御霊よ永久に安らかなれ

    昭和57年5月30日 福岡県大東亜戦没者慰霊顕彰会建立

 

 

 日本政府は今も、15年戦争肯定論の立場を公式見解として維持しています。

 民間にも相呼応する政府と同じ動きが目につきます。

 それが上のような慰霊碑建立の文章に刻まれています。

 このように過去の戦争を美化する風潮が、最近高まりつつあります。

 

 ということは、来るべき戦争への積極的参加の意欲を喚起しようとするものと

 いう印象を禁じ難い。

 刻まれた文章は、大東亜戦争は自存自営のためであり、亜細亜の民が

 次々と独立、栄光を勝ち得たのは、日本の聖なる戦いのおかげであったと

 絶賛されています。

 

 戦争の惨禍に対する反省の意の片鱗もなく、戦争美化一色で塗りつぶされています。

 そして戦没者は英霊として顕彰されています。

 英霊とは、正当な戦争での功績ある戦死者を賛美する呼称です。

 大東亜戦争で亡くなった戦死者は、英霊ではなく犠牲者です。

 

 大東亜戦争で亡くなった人は、無謀な侵略戦争の犠牲者として悼まれる

 べきものです。

 日本が行った侵略戦争を聖なる戦争だと、国民に大ウソをつき 

 戦死者を英霊として靖国神社にまつる日本とはいったい

 どういう国なんでしょう。

 

 ●飯沼二郎

  毎日新聞  戦時中に犯した罪はどうなる  1980年 8月14日

 

 「かつて日本兵が中国大陸で、暴行事件などを引き起こしたことは

  多くの証言者があり、否定し得ない事実である。

  このような暴行などを行った日本兵のある者は、無事に生還した。

  しかし中には不幸にして戦死し、靖国神社に祀られている。

  親友や父や夫が戦地で暴行したなどとは、全く信じることができないであろう。

  しかしそのような人々が英霊の中に存在するという事実は否定できない。

  靖国神社を国家で護持し、政府首脳が参拝することは、かつて戦地で犯した

  暴行事件こなどを日本政府として、是認することになる」

 

 東京裁判でA級戦犯とされた東条英機ら14人も、靖国神社の祭神として

 密かに祀られた。

 密かにということは、公に祀ることができなかったんでしょう。

 A級戦犯者だから、、、、

 そういう犯罪者を祭神として、日本は祀っています、

 そして国家首脳は、戦争犯罪人を英霊として参拝しています。

 

 つまり日本の侵略戦争を支持し、崇敬している、、、ということです。

 大東亜戦争、15年戦争は日本国家が開始した侵略戦争です。

 聖なる戦争どころじゃない。

 

 ★A級戦犯は英霊に

 

 その侵略戦争のため、敗戦を迎えると天皇の処分をめぐって

 外国ではいろんな意見が出ました。

 しかしオーストラリアは、強弁に天皇の退位を要求しました。

 

 オーストラリア

  国家元首であり、日本軍の最高司令官である。

  天皇は日本の侵略行為と、戦争犯罪人の責任をとるべきであり

  従って天皇の退位を要求する。

  天皇は日本の侵略行為の責任から免除されるべきではない。

  人間としての天皇は、連合国政府のいかなる他の降伏敵国の

  どの人間とも同様の方法により、扱われるべきである。

 

 

 しかし最後には、連合国司令官マッカーサーにゆだねられ

 オーストラリアも巧みに米国に誘導され、その後の結果になりました。

 最高司令官天皇は責任をアメリカによって免除され、その責任は

 東条英機らA級戦犯が負ったのです。

 米国には、下心があり今のような立場の日本になったというわけです。

 

 A級戦犯は日本国首脳にとっては、英霊なのです。

 占領軍が未だに撤退せず、居続けるのもアメリカによって救われた

 天皇あればこそです。

 不思議でもなんでもありません。