前方後方ともにソビエト軍に抑えられた哈達河開拓団 | 気になるニュースチェックします。

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★★★前方後方ともにソビエト軍に抑えられた哈達河開拓団

 

 ★自分たちだけが取り残されて

 

 鶏寧の街はすでに火災がおきて、真昼のように燃え盛っていた。

 駅前に置き去りにされた馬車の上には、荷物と子供だけが取り残されていた。

 駅の構内も大混乱であった。

 隣接する城子河の炭鉱も西鶏寧の駅も爆撃を受けていた。

 

 県警察より

 【鶏寧は空襲を受けつつあり、昼間の行動を取りやめ夜になるのを待つように】

 との連絡が入った。

 

 またもや敵の来襲である。

 国境地区から撤退する日本軍のトラック群と、避難民を目標にソ連の戦闘機が

 急降下する、、、、

 わずか数十分のこの時間が、数時間の長きに堪えたかのように眉間に汗がにじむ。

 

 【軍用トラックの上の負傷した血まみれの兵隊は、まるで魚を並べたように

  寝転がっておられた。

  炎天下をソ連機の機銃掃射に曝されたまま、身動きのできない兵隊さんは

  実にかわいそうだった】  (麻山と青年学校生徒)

 

 現地の放牧する豚まで追い回し、機銃弾を打ち尽くしてソ連機は去った。

 そしてこの時に開拓団の人たちは、多くの馬と馬車を失っている。

 そしてこの時、偵察に行っていたトラックが帰ってきて、鶏寧の日本人すべてが

 引き上げ、久保田県長をはじめ事務員までもが、最後の汽車で避難したことを知った。

 開拓団の人々は、皆自分たちだけが取り残されたことを知った、、、、、

 

 悲痛な面持ちで、貝沼団長は林口を次の目的地に指定した。

 【林口がだめなら、牡丹江まで行かなくてはなるまい】

 林口までは、鉄道の敷設距離にして86キロ、、、、、

 牡丹江までは、さらにそれから110キロの距離があった。

 

 笛田道雄の集団もこの空襲で、馬車2台のうち1台を失った。

 そして残った1台の馬車の荷物は全部捨てた。

 そこに子供たちを交代で乗せることにした。

 

 隊列は夜になってなお燃え盛る鶏寧の街に入った。

 

 ★8月11日、12日 泥寧の逃避行

 

  西鶏寧を過ぎるころから、降り出した雨は夜は豪雨となった。

  道は満州名物の泥寧である。

  8月とはいえ北満の雨の夜は骨身にしみるほど冷え込む。

  女たちはかじかんだ手に、手綱を握りしめなれぬ馬車を操った。

 

  哈達河開拓団と行動をともにした、南郷開拓団の高橋庄吉は

  【隊伍も乱れ、前馬と後馬との差は約3里もあり、連絡意のごとくならず

   かつ暗夜のため断崖より転落し、どこの者か悲鳴のみ残して哀れ

   谷間に落ちて負傷せる者あり。

   かつ、また破綻せる橋梁あり、ために前進の人馬ともにこれが修理にて

   心身の疲労その極に達す】

      (南郷開拓団避難既況報告書)

 

 そしてついに団長は現地にて一時行動を中止すると指示を出した。

 ほとんどが、雨中に立ったまま寒さに震えながら夜明けを待った。

 笛田道雄の一行も豪雨の中を泳ぎ、泥寧の中を這ってここまできた。

 行動を中止の知らせに、女たちは崩れるように眠りに入った。

 子供たちも土砂降りのなか、うつ伏して眠った。

 馬車を失ったこの集団には、雨よけの布団も衣類さえもなかった。

 

 そしてこの時、体力のない乳飲み子が真っ先にまいった。

 丸山キクエの1歳の男の子が、母親の背中で死んだ。

 そして12日、雨の弱まるのをまって再び行動を開始した。

 

 丸山キクエも死子を背負って、黙々と隊列に加わっていた。

 ある母親は、昨夜消えた幼い命のため、隊を抜け出し道端に小さな死体を置いて

 毛布をかけてそっと手を合わせ、再び隊列に戻った母親もいる。

  

 滴道付近で夜明けを迎えた。

 やがて太陽が昇り始めると、たちまち大陸の猛暑がやってきた。

 小休止のときねたまりかねた笛田道雄が団長を捕まえて

 【林口についたら汽車に乗れるのですか】

 

 【林口につく頃には、林口もすでに爆撃されているであろう。

  早く林口に行き、女と子供を逃がしてやらねば】

 貝沼団長の心身ともに疲労した様子が、その後ろ姿に現れていた。

 延々と続く長蛇の婦女子の列を行く、貝沼団長の心境はただ悲愴の二字に尽きる。

 

 すでに民家も耕地も消えて、行く手には完達山脈の山々が連なっていた。

 やがて、滴道と湿地の向こうの山すそに、青竜の信号所が見えてきた。

 麻山はもう目と鼻の先だ。

 

 ★前方後方ともにソビエト軍に抑えられた哈達河開拓団

 

 11時近く、前方の馬車が次々と停止した。

 貝沼団長、福地医師、馬場栄治、及川頼治などが集まってた。

 開拓団の購買部から運んできた食糧、日用品などが分配された。

 トラックの放棄が決定されたのだ。

 

 偵察に行っていた本村隊長から伝令がかけてくる、青校生である。

 【前方に敵が進出、日本軍も待機中、開拓団の男子は速やかに前進し

  軍に協力すること、トラックは現地にて焼却、

  婦女子はただちに退避せよ】

 

 前方ではすでに戦闘が始まったらしく銃声が聞こえる。

 まさか後方から来るとばかり思っていたソビエト軍が、自分たちを追い越して

 麻山に進出しているとは考えられないことだった。

 今、哈達河開拓団は、前方、後方をソビエト機械化部隊によって抑えられたのである。

 

 

 麻山事件著中村雪子