小田嶋さんの言葉をもっと読みたかった

 

  『小田嶋隆と対話する』(内田樹、イースト・プレス)を読んだ。

内田樹さんが、小田嶋隆さんがなくなる前の3年間のツイートを読み、対話を試みた本だ。


私は小田嶋ファンではあるが、「Twitter」とかはしていなかったので、彼が生前ツイッターにどんなことを書いていたのか知りたくて読んだ。

すぐに読めるし、差し挟まれる内田さんのコメントも含めて面白かった。 

たとえば、ツイートの中にはこんなものがある。

★「不適切」という言い方を警戒しないといけない。この言葉は、「ついうっかり間違えました」的な、犯意を隠蔽する意図を含んでいる。このデンで行けば「窃盗」は「不適切物品入手」になるし、「詐欺」は「不適切説明」で逃げ切れる。「強姦」も「不適切接触」でイケるんじゃないか?

不適切公共放送だな。

言葉を扱う専門家であるはずの放送局の人間が「不適切字幕」なんていう言葉を使うことに抵抗を感じなかったのだろうかね。

★いわゆる「トリクルダウン理論」は「オレが食べた後に消化した分を分けてやるぞ」というスジのハナシなわけで、それ、要するに「うんこ」のことだよね。つまり、先行利得を確保しに行ってる富裕層は、より貧しい連に「くそくらえ」と言い放っているのだとオレは思うよ。


私にはこういった言葉で遊びつつ語るツイートが特に面白かった。

内田さんの方には、たとえばこんなコメントがある。

☆小田嶋さんは「元気をもらう」 とか 「勇気をもらう」という言い回しが嫌いだった。それこそ 「蛇蝎の如く」 忌み嫌った。 私にもこの嫌悪感はよくわかる。
 ある時期から「元気」や「勇気」はパッケージされた商品のように気前よくやりとりされるようになった。それは人間の心の動きの複雑さを軽んじることだ。そして、複雑なものを単純化するというのは、生きている言葉を「死んだ言葉」に縮減することと同じふるまいだ。 小田嶋さんはものごとを単純な話に還元することを知的だと信じている人たちと戦っていた。ずっと戦ってきた。


もっともっと読みたかった。

ご冥福をお祈りする。