TVで、被災した方々のことを ドキュメントタッチで放送しています。

何もかも流されて、家も職場も家族も・・・と言う人たちが、

なーんもすることねー、仕事もね-しー

いぎていぐきもねぐなったー

いまだば、なんもしたくねー

と、アルコールとパチンコに浸っていると言う。

ケースワーカーが心配しても、大人のすさんだ心は

喪失感が大きくて、もとの人間にもどるのは

すごく遠い道のりだ。

では、なぜ、そこで、神仏にすがる、とか、亡くなった人のために祈るとか

そう言った行為がないのだろう?

私は、あの日以来、TVを見ながらずっと涙が止まらなかった。

しまいに、炎症がおきて鼻がつまって血がにじみ、しょうがなく病院で薬をもらった。

その間、ずっと心の中でカラダを失った魂に祈っていた。心はちゃんと飛ぶから・・・



生き残ったものしか、亡くなったものへの供養は出来ない。

恐ろしいことに、

そういった日本の生死感がここでは

壊滅している。


外から帰ってきて、仏壇の金を鳴らして手を合わせる・・・

そこに祈る心がない。形骸化している。

それでは、死んだものも、生きているものも救われない。

なんと言って手を合わせているかといえば、多分無くなったヒトの魂にお願いしているのだと思う。

私はあなたの代わりに生きるので見守っていてくださいとか、

なむあみだぶつ・・どうか成仏してくださいとか、

安らかにお眠りください・・とか

全部・・・ください・・・とお願いしていると思うのです。


そんなこと、出来ないって・・・

あの、濁流に飲まれてそのままの苦しみが続いているのに

苦しんでいる魂になんで、お願いするのですか?

ああ・・・日本人たちよ、苦しんでいる魂を救うすべを忘れてしまっているのですね。

ですから、この国は、明日がないのです。