鎌倉の朝比奈切り通しを行く(2)
前回の続き。
ランチを頂いた「峰本」を出て、バス通りを渡り、脇道に入ると、小川沿いに住宅が立ち並んでいた。
道を進み、川が分岐した所で太刀洗川沿いに歩みを進める。
竹筒から小川に注ぎ込まれる「太刀洗水」
一見、清らかな流れだがこれには伝説があって、
頼朝への謀反を企てたとされた、上総介広常を暗殺した梶原景時が、その血塗られた太刀を洗ったとされる伝説の水だそうな…実は広常は無罪だったそうだが…
歴史ある土地には、血生臭い逸話が付き物ですわね〜…京都もそうですが…
小川沿いに続いた住宅地が途切れると、そこから舗装の道ではなくなり、山道へと入って行く。
一歩一歩、足を進める度に、馥郁たる緑の薫りが増してゆき、森の冷気が体を包む…
程なく、見えてきた、「三郎の滝」
伝説によれば、「朝比奈切通し」は、鎌倉幕府の御家人・和田一族の朝比奈三郎という大変な力持ちの武士が、一夜にして切り開いたとされ、この朝比奈三郎にちなんで、「三郎の滝」と名付けられたそうだが、
しかし、実際には、「朝比奈切通し」の開削工事は、当時の鎌倉幕府の執権・北条泰時が、自ら工事監督をし、乗馬に土石をのせて運ばせたという記録が残っているそうです。
沢沿いに道を辿っていく…前日は雨降りだったせいか、何時もこうなのか、山道にまで水が溢れていた。
何とも絵画的な自然の造形…
更に進むと、目の前に現れた、岩盤を削って造られた、岩の坂道。
何度も言いますが、重機も無かった時代によくやり遂げたものですわ。
辺りには誰も居ない。ゴールデンウィークには鎌倉の観光地は怒濤の人混みだったが…ここはどうだったのだろう?
と、思いながら写真を撮っていたら、1人の青年が通り過ぎて行った。
切り通しは鎌倉時代以降、江戸時代にも修造、拡張されていたそうで、この石仏に刻まれている延宝三年十月は、切り通しを修造したと言われる僧侶、延宝の比浄誉向人が亡くなった時期と考えられるそうな。
道の各所に見られる江戸時代の供養塔…それは当時に盛んに工事が行われた事を物語っているそうだが、
工事中に事故で犠牲になった人がおられたと言う事か…
岩の坂道を登り切ってしばらくすると、見えてきた、断崖に彫られた仏様のレリーフ
この仏様に関しては資料が残って居ないそうで、いつ頃のものかは不明だそうです。
手を合わせて会釈をして、更に進む。
熊野古道を髣髴とさせる山路を進むと、木立の間から熊野神社が見えてきた。
続く。