期待と信頼 | チャネリングによる魂の似顔絵*描いています♪埼玉*大宮

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ピカピカでピンピンしててぷるっぷるでキラキラな「本来の自分へゆっくりと還る」をテーマに お家サロンにて活動しています♪
魂の似顔絵2012.8.8~*天使画*レイキヒーリング*カードリーディング*ぬり絵セラピー*お絵描き教室♡趣味の一人旅とにゃんこ先生日記も♪


 またまた気付いたこと


またまた気付いたことがあるので書き留めておこうと思う。

自分の子供のころのことを深く考えてみた。

母親との関係において

とても友好的な関係を築いてきたと思っていた、

一人暮らしを始めるまでは・・・(もうずいぶん昔の話ですが)。

なんだかわからないけど、とても生き辛さを感じていて

でもどうしてよいのかが全く分からずに、

ただただひたすらどうにかして楽になりたくて、

それを探ることがライフワークのようになっていた。

母親は最大限の愛情で育ててくれたと思うし、感謝もしている。

しかしやっと最近気付いたのだが、

母親の愛情はおそらく本人も気づいていないと思うが

「私の子供なんだから、何々は出来て当たりまえでしょう」

「私が育てたんだから、こうあるべきだし、そう考えるべき。
だって私は正しいから正しいことを教えてきたのだから」というもの。

かといってこうしろああしろとうるさく言いつけられたり

しつけられた記憶はない。

これはおまけですが自分に都合の悪いことを

子供(私たち 姉がいます)がするとそれは

「父親が悪い、父親に似てしまった」となる(笑)。

ようするに私(おそらく姉も)は、

母親の期待に沿う子供を演じてきてしまったのだ。

また、よく母親の期待に応えられる子供だった
(姉は期待を裏切る子供だったのかも・・・)。

また私はそういう母親だけでなく大人の(人間の)心が

手とるようにわかってしまうので、

子供心に「ここで母親に見捨てられたら生きて行けない」と思い、

ますます母親にとって都合の良い子を演じてきてしまい、

いつの間にか自分自身というものがどこかへ行ってしまってというか、

奥底に閉じ込めてしまっていたのだ・・・。

それにもまして周囲との違和感もずっと感じていたし・・・。

だからずっと自分は変なんだと思っていた。

で、私は、子供の頃、母親にどうしてほしかったのかな~っと

深く探ってみた・・・。

そしたら「期待ではなく、ただ信頼してほしかった」と・・・。

そっか~!納得・・・!

期待と信頼は全く違う。

期待はエゴ。たとえばうちの母親の場合、

言葉では指図はしないものの、
無意識のうちに「私の子供なんだから優秀であるべき」という

無言のプレッシャーという形のエゴ。

信頼は、その子供になんら期待せず、

かといってあきらめているわけではなく、

静かに見守る「信頼しているよ」ということ。

何があっても信頼して見守ること。慈悲に近いのかな・・・。

そんな風にしてほしかったみたいということに気付けた。

しかし、もう子供時代にタイムスリップして母親に

「信頼してよ!」とは言えないので、

これからは自分で自分を癒す作業をしていこうと思う。

自分自身を信頼してあげる。なにがあっても(・・・難しそ~ )。

インナーチャイルドを癒して、育む。

大人になった今の自分とともに一緒に育っていくこと・・・。

今の自分にしかできないし、

今の自分がしてあげられる最大限の癒しなだと思う。

 
ちょっと前に気づいたことを書いた・・・。
完全なる独り言・・・
 

あ!今日は新月ですね
ありがとうございました!
ではでは