写真をつかうことと、個性的ということ | 翠日記

翠日記

イラストレーションを描いてます。本を読んだり映画を見たり走ったり食べたりするのが好きです。
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とうとう個展まであと一週間をとっくにきりました。最後の一枚を描き途中です。
 
描いている途中ってわりとぼーっとしてるので、色々と考えました。
 
私は写真を使って描くのですが、大体旅行先とかで撮った写真を使います。「ココに車が欲しいなー」とか写真になにか加えたいときには車のカタログとか見ながら適当にパースを合わせて描いてます。
大抵一枚の写真がそのまま使えるということはあんまりなくて、(多分私の写真の腕のせいだと思います)、複数枚組み合わせたりして空間を広げた構図にして描きます(写真一枚だと大抵なんか狭い感じがする)。色も普通に写真をとると地味な好きじゃない感じになるので(多分私の写真の腕のせい)、ここで色々と調整し試行錯誤します。このときパソコンをフル活用(?ってほどでもないが・・・)してやってます。
 
「写真を使うと写真みたいになってしまう(→見たまんまの創造性のないつまんない画になる)」と言われたりしますが、モノの形をそのまま受け入れたほうが私は好きなので、写真を使います。
モノを、頭の中の記憶を頼りに描くと、私の場合、ある種の記号としてのモノの形になるので、写真をガン見して描いた絵よりも更につまらない形になります。
でもいろんなタイプの人がいて、資料なしで脳内からダイレクトに飛び出た形をそのまま描いて、スゴイ面白い形で描ける人もいるので、そういう人は普段からそういうモノの見方をしてるんだと思います。すごいなーと思います。
モノを見たまま、「ここどうなってるの?」とか思わずにありのままを無心に描くのが、私なりのやり方です。機械とか描くときも、「ココどうなってるの?」とか思い始めるときりがありません。このデッパリはなんだろうとか追求せず、よく分からずモヤーとしたまま無心に描いた方がいいかなーと思います。
 
そういう意味で、私は写真を使って、ある意味写真に頼って描いているわけですが、結局、絵が出来上がると不思議と写真とあんまり似てないので、いまのとこ丁度良い塩梅かなあと思います。ちょうどよい具合?にそこまでリアルに描くスキルが発達してないんだと思う。
 
写真に写っているものの中で、描きにくかったり描いたら汚くなりそうなもんは全部省略して、自分の中の自分の絵として都合の良い理想郷に変化させてゆくのは楽しいです。
 
大体の構図は写真と同じでも、細部をどんどん省略したり逆に過剰に描きたいところをは過剰に描いたり、色を自分の好きな色に変換したりすると、なんていうか自分の画風になってゆくんですが、
でもあんまり「自分の個性を前面にだして!!オリジナリティ!!」と欲望を噴出させると、逆にあざとい感じになるので危険です・・・・。

 

前は、もう欲望を大噴出させたエゴ丸出しでかいてましたが、その辺は色々と学びました。うーん、その辺が一番学んだところかもしれん。

 

 
師匠の福井先生は、「個性とかなくていいよ。そのまま素直に描くかんじでもいいよ。むしろ何も考えなくてもでるのが個性」(みたいなことをたしか・・・細かく覚えてませんが)とおっしゃられたことがあるんですが、衝撃的でした。うーん、確かにそうかも。

 

 

 

 

あと、不思議なことに、「良い写真」をつかうと良い画が描けるわけでもないみたいです。写真として良い写真、というのと、絵にして描いた時に良い写真、というのは別みたいです。不思議!!

 
なんとなく、「これは絵に描いた時いい写真・悪い写真」と、フィーリングで選べるようになってきましたが、なんでそういうことになるのか不思議ですね。なんていうか、割とありふれた写真のほうがいいみたいです。不思議!!