1Q84の評判 | 翠日記

翠日記

イラストレーションを描いてます。本を読んだり映画を見たり走ったり食べたりするのが好きです。
http://midori-s.hopto.org/

ネット上で「1Q84」の評判を検索してみた。
意外と辛口評が多かった。
新聞とか文芸誌に出るパブリックな批評は概ねぬるい感じでほぼ好意的だったが(あれだけ売れればなにもいえないだろう)ネットの匿名の個人の評価は無責任にかけるだけに、批判的なものが結構ある。


ムラカミハルキ好きな人にとっては、「ノルウェイの森」「ねじまき鳥」あたりが二大巨頭で、ディープなファンはねじまき鳥、比較的オールラウンドになんでも読む人は「ノルウェイの森」あたりを好まれるのだろうか。いやむしろ逆か?それともファンは、「ノルウェイの森」みたいなのはベストセラー過ぎて表立って好きといわないものなのだろうか。よくわからないが。私の周りには本好きが殆どいないので分からない。


「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」とか「ねじまき鳥クロニクル」と比べたら、さすがに「1Q84」は、まだそこまで自分のなかで重要な物語になってないし、これから時がたってもそれほど自分の核となる部分に変化を与えるか分からない。分からないけど多分それほど影響を与えないと思う。

でもそれは、「1Q84」が「世界の終わり」や「ねじまき鳥」と比較して、劣っているからではないと思う。

「世界の終わり」や「ねじまき鳥」を読んだときは、私はまだ大学生で、世間の空気も今よりも比較的ゆっくり流れていた。自分の内面もまだ決定的になっておらず、色んなものに無防備だったと思う。そのシチュエーションにおいて読んだからこそ、私にとって「世界の終わり」や「ねじまき鳥が重要になったのだと思う。

読書というのは、個人的なものであると同時に、「読んだときの自分をとりまく世界の空気感」というのも大いに関係すると思う。


村上春樹の本は、正直今みたいな本格的な不況の時期にちょっと合わないというかんじがする。
皆が好景気で浮かれてるときに、一人で日曜の昼に孤独にパスタを茹でてこそ村上文学なのである。
今の世の中で、一人で日曜の昼に孤独にパスタを茹でてもそれほどのインパクトはない。
もちろん、村上文学もどんどん変わっているし、もうそういう洒脱なイメージからは脱皮したのかもしれないけど。


私の中で村上春樹が一番熱かったのは、10年前くらい。
下降線とはいえある程度の景気がだらだらと続き、その永遠を信じていたいけど変化の予兆も感じている、そういう「一見平和だけど水面下でなにかがおき始めている」感じが、ちょうど10年前くらいである。
そういうシチュエーションにおいて、村上春樹の本は、静かに不吉に何かを暗示してくれて、それが魅力だった。

今みたいに、「色々ともう起こっちゃってるんですよ」っていう状態で、いつまでも予言じみた仕掛けの多い物語読まされてもなあと、ちょっとめんどくさく思ってしまう。


けど、そこで、「昔のハルキは良かった」とウダウダするのもなんか情けなく思う。それは私にとっては「昔の自分は良かった」と思うのと殆ど同じだと思うので。「1Q84」は、少なくとも意欲作であるし、なんていうか読むに値するコストが払われている小説である。そこから何かを汲み取れそうな気はするので何度も読もうと思う。